船守神社

泉南郡岬町淡輪4442 (令和2年1月6日)

東経135度10分30.21秒、北緯34度19分41.05秒に鎮座。

この神社は、南海電鉄南海本線・淡輪駅の西500m程の辺り、淡輪の街中に鎮座しております。

御祭神 紀船守公・五十瓊敷入彦命・紀小弓宿弥公

由緒
紀船守公(731~792)は50代桓武天皇に仕えた人で48代称徳天皇の天平宝字8年(764)恵美押勝が叛いたとき、授刀衛の士として武功をたて近衛大将から大納言まで累進し延暦11年(792)4月2日62才で死去したときに、桓武天皇より正二位右大臣を追贈された。五十瓊敷入彦命は11代垂仁天皇の皇子で、命は大阪南部中心に池溝の構築田畠の開拓等農業を代々的に奨励推進された。紀小弓宿弥公は21代雄略天皇に仕えて(465)征討新羅大将軍として出征武勲を建てたが新羅において病死された。紀小弓宿弥公は、武内宿祢の後裔で淡輪も当時は紀氏の領地であった。船守神社は延喜11年(911)60代醍醐天皇の勅命により創建されたと伝えられるが、現在の本殿は慶長14年(1609)の再建で三間社流造千鳥破風および軒唐破風桃山式で国の重要文化財に指定されている。境内に大きな樟樹があるが推定樹齢800年といわれ天然記念物の指定を受けている神木である。
境内由緒書き より。

参道入口

入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(文久3年(1863)癸亥3月吉日建立)

鳥居

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(文政7年(1824)甲申9月建立)

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正2年(1913)4月建立)

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(寛政11年(1799)己未9月吉日建立)

本殿


末社