堺市西区草部(平成18年1月2日)
この神社は阪和線・冨木駅の東約1.3kmに鎮座しています。
案内には河内国を原籍とする日下部氏の祖、開化天皇の皇子である彦坐命(ひこいますのみこと)を祀る式内社で、明治の神社合祀策により、明治44年、鶴田村字輪之内にあった日部神社と寺山の八坂神社、原田の熊野神社、上村の菅原神社が合祀され現在に至っている、とあります。詳しくは下記の写真でどうぞ。
聞き慣れない彦坐命とは日子坐王とも記され、「天津神の始祖の王」の意味で、彦坐王と沙本之大闇見戸売(さほのおほくらみとめ)との間に、沙本毘古王、沙本毘売之命などが生まれています。沙本毘売之命は垂仁天皇の后となりますが、兄の沙本毘古王とともに謀反伝承を持っています。母親の「闇見戸売(くらみとめ)」はクラオカミを思わす龍蛇神のイメージがあり、現に垂仁天皇の枕元で沙本毘売之命が次のように語っています。「沙本の方より、暴雨の零り来て、急に吾が面を沽しつ。また錦色のヘミ、我が頸に纏繞はりつ。」
と。また沙本毘売之命の別名は「左波遅比売(さはぢひめ)」であり、これは沢道比売のことでもあります。沢・沼は丹生であり、これは丹生都比売のこととも理解できます、と、「神奈備にようこそ」では解説してあります。古代史は突き詰めれば面白い課題なのでしょうが、未だ日の浅い私には荷が重すぎる感じが拭えません。むずい。