石津太(いわつた)神社

堺市西区浜寺石津町中4(平成18年1月2日)

 この神社は南海本線・石津川駅南から一方通行の道を東に入り突き当たりを右折すると右側に鎮座しています。

 由緒には、「延喜式内社にして、我が国最古の戎社と称せられる当社は、伊奘諾命、伊奘册命夫婦となり、蛭子命をお生みになられたが、命3才に成られても尚、立ち給ふこと能はざりしかば、天磐樟船に乗せて順風に放ち棄て給ひしに、船は波に従い飄々として海岸に漂着し命は其の携へ来りし五色の神石をここに置き給い、此の地を石津といい、其の船の着きし所を石津の磐山という。後遥に年を経て、5代孝照天皇7年8月10日初めて、宮柱太しく建て給ひて、蛭子命を祀り更に、八重事代主命、天穂日命を合祀する。平安朝以後、朝廷の御幸幾度かあり、神階も加増せられ、境内は八町四方を有し、社殿は甍を並べる壮観さを呈していたが、元和年間以後数度の兵火に罹り社殿は悉く烏有に帰した。のちに、豊太閤は大阪城築城に際し、当社を裏鬼門の鎮守神として崇敬し、木村重成は社殿復興のために黄金金若干を寄進したと伝える。全国に崇敬者あり、明和6年、江戸湯島天神へ、同年8月に坐摩神社で出開帳し、又、前年には神札頒布について、西宮神社との係争が和解したという記あり。明治41年12月諏訪神社を合祀する。」とあり、要約すると、ここは日本最古の戎(えびす)を神とする神社であり、昔、伊奘諾命、伊奘册命が蛭子命をお生みになられたけれど3才になっても立てないような子供だったので天磐樟船に乗せて海に放ち、その命がこの地に漂着され、この時五色の神石を置いたので、石津と名付け、船の着いた所を磐山と言い、「漂着神信仰」により人々に敬われたということの様です。

 現在の御祭神は蛭子命、天穗日命、相殿に八重事代主命 、配神に天照大神、合祀神は建御名方富命。 摂社では白蛇社・白蛇の御靈、八幡神社・譽田別命、磐山稲荷神社・倉稻魂命となっています。

 陰暦の11月14日に漂着した恵比寿さまが火を起こして体を温めたという伝説にちなんで、今でも12月14日には、焼いた薪の上を歩く火渡神事「やっさいほっさい火祭り」が行われています。

社号標 神社入り口
県指定有形文化財の平屋造拝殿
県指定有形文化財の
南本殿、正面と脇から
県指定有形文化財の
北本殿、正面と脇から
戎神之御腰掛石 北本殿前にいた、
一体だけの陶器製玉獅子
戎神之御腰掛石前の年代不明・浪花狛犬。
和泉砂岩製の為、剥落や骨折が痛々しい感じがします。
裏参道入口の個性派狛犬。
ウルトラマンのような大きな眼と横に広がった鼻、
口蓋の上側がおじさんのチョビ髭のように見えます。
阿はどことなく哀愁を帯びた遠い目をし、吽は角付きで、
口を真一文字に噛みしめた頑固者の風情を漂わせています。
(明和7年(1770)建立)
境内社・八幡宮「譽田別命」
八幡宮前の顔が殆ど欠けてしまった狛犬
境内社・磐山稲荷神社「倉稻魂命」入り口、参道、社殿
   
ご神木の大楠。冬場でも青々とした葉を付け、見事な枝振りです。