金岡神社

堺市北区金岡町(平成18年1月2日)

この神社は地下鉄御堂筋線・神金岡駅の南東約1km、我堂金岡線・192号線に面して鎮座しています。

 案内によると、平安時代初期の仁和年間(885年頃)、庶民の安全と五穀豊穣を祈願するため住民が住吉大神をお祀りして創建されたと伝えられています。その後、一条天皇の御代(986年頃)勅命により画聖巨勢金岡卿を合祀し、金岡神社と称しました。
 この辺りは昔,河内国八上軍金太郷とよばれ、優れた絵や彩色などの技術を持った河内絵師といわれる人々が住み、奈良の大仏殿の絵を書くなど活躍していました。その中で特に優れた金岡は、絵所長者といって絵の仕事をする役所で最高の位を極めた河内絵師でした。この地区には、金岡が筆を洗ったという金岡淵という地名が残り、巨勢金岡ゆかりの地とされています。
 その後明治政府の神社合祀策により明治40〜41年に南八下村の菅原神社・熊野神社・金峰神社・八幡神社・八坂神社二社・金岡村の長曽根神社・北八下村の河合神社・須牟地曽根神社・八坂神社三社をそれぞれ合祀しました。

例年5月3日に絵図・技芸の上達を願い画神祭が,10月10日には大祭が行われています。

 また神社のすぐ横が竹内街道と呼ばれた日本最古の官道で、 「飛鳥のみやこと大阪湾沿岸にあったその外港とを結ぶ、政治・経済・外交上の重要な道として利用されていました。大小路から榎元町・金岡町・野遠町を経て、竹内峠を越え奈良県に入り橿原市に至る道です。」と、道標に書かれていました。

 御祭神は、右御殿 ( 伊邪那冊命、 天照大神、保食神、広国押武金日命、 応神天皇、菅原道真公 ) 、中御殿( 住吉大神、素盞鳴命、大山昨命、巨勢金岡卿、勝手大神)、左御殿 ( 天児屋根命、武甕槌命、経津主命、事代主命 ) となっています。

普通、金岡神社というと金属関係の神様なのですが、ここは「巨勢金岡卿」という優れた河内絵師の名前を冠した神社でした。そして、透かし塀を通して見上げる3社殿が凄く優雅な感じで、入口の堂々とした狛犬や、境内に聳える楠の大木が素晴らしい古社でした。

神社入り口 ご神木の楠
境内入り口の寛政5年(1793)生まれの浪花狛犬。
阿は獅子、吽は角付きの狛犬の姿で表されています。
堂々とした立派な体格ですが、尊大な感じは受けません。良い狛犬です。
(寛政5年(1793)8月吉日建立)
拝殿 透かし塀越しの本殿
優雅な本殿三社殿。
右御殿 ( 伊邪那冊命、 天照大神、保食神、広国押武金日命、 応神天皇、菅原道真公 ) 、
中御殿( 住吉大神、素盞鳴命、大山昨命、巨勢金岡卿、勝手大神)、
左御殿 ( 天児屋根命、武甕槌命、経津主命、事代主命 ) をお祀りしています。
拝殿前の首長浪花狛犬。この子達は特に目が大きいようです。
(昭和17年8月建立)
透かし塀内の中国狛犬。双方阿で、お釈迦様の螺髪のような鬣をしています。
右は親を見上げる子狛を、左は玉を持っています。建立年代はわかりませんでした。
境内社入口 境内社社殿
境内社・白龍大神外観と楠の大木 境内社・白龍大神

狛犬の拡大写真はこちらで