玉造稲荷神社

中央区玉造二(平成14年10月5日)

 由緒より
当神社は垂仁天皇18年(西暦 紀元前12年)の秋に創祀されたと伝えられ用明天皇3年に改築。聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋公と争われた際、この玉作岡に陣を敷き「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生じさせ給え」と祈願されたところ、のちに枝葉が生じ、この戦いも無事に終わったと記されています。
 その後、慶長8年には豊臣秀頼公により社殿、高殿(舞台)を建立。元和元年の大坂落城を経て、元和5年には徳川幕府の大坂城代、内藤紀伊守を始め、氏子・崇敬者の寄進を以って再建。社名は豊津稲荷神社として豊臣・徳川時代を通じ「大坂城の守護神」として崇敬されたことは今日に伝わっております。 

神社入り口

境内

拝殿

拝殿内部

始めて見た浪花尾立狛犬、随分厳つい顔ですね〜

豊臣秀頼公奉納鳥居