鵲森宮(かささぎもりのみや)

大阪市中央区森之宮中央1-14−4 (令和2年1月3日)

東経135度32分10.03秒、北緯34度40分39.38秒に鎮座。

この神社は、JR大阪市高速電気軌道・森ノ宮駅のすぐ西側に鎮座しております。

御祭神 用明天皇・穴穂部間人皇后・聖徳太子

由緒
大阪が「押照や難波」と詠まれた今から千四百数年前、崇峻天皇二年(589年)七月、聖徳太子は物部守屋との戦いに必勝を祈願され、勝った暁には四天王像を造ることを誓われました。その戦いに勝利されて、先ず父母の用明天皇と穴穂部間人皇后を神としてお祀りなさいました。その後、太子は四天王像を造り、この森に元四天王寺を創建なされたのです。御父用明天皇崩御の後追慕の御孝心が深かったので、太子は自ら尊像を彫刻なさって、かつ宮殿を造営なさり、そこは四方の崇敬いよいよ篤い神廟となりました。
初め境内地も方八町あったと云います。そして本殿、拝殿始め楼門に至る迄華麗で、目を驚かすばかりだったようです。
それゆえ古地図、古文献等にも多数記された由緒ある古社であり、さらに人皇三十一代用明天皇(欽明帝第四皇子、橘豊日命)並びに穴穂部間人皇后を祭る日本唯一の神社です。
しかしながら時移り世が変ると、御社の衰えも大層甚しく、今は小社に鎮座していますが、この宮所は実に千四百年の星霜を経ています。このように歴史が古く、由緒の正しい社は日本が広いといえども数少ないのです。
鵲森宮公式サイト より。

神社全景

境内

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和19年(1944)7月建立)

拝殿内部

拝殿奥の神殿狛犬


五幸稲荷

大伴家持歌碑
鵲の渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける