鶴見神社

源頼朝が富士の裾野で巻狩(四方から狩場を囲んで獣を捕らえる狩り)をしたときに、千羽の鶴に金の短冊を付けて放したところ、この地に飛来して住み着いた。その鶴を見物に来る人が多く、「鶴見」という呼び名がついたという言い伝えがある。また、日本書記にその名を残す「草薙の剣」を盗み出し、新羅の国に逃げようとしていた僧の船が難破してしまい、辿り付いた所で祟りを恐れた盗賊が草薙の剣を放り投げて逃げ出したという記述が古代の伝記(八剣伝説)があり、「草薙の剣」の「ツルギ」が訛って「ツルミ」になったと言う説もある。その節の裏づけとしては区内「つるぎ街道」と言う街道や、「草薙の剣」の御霊を御神体として奉納している「阿遅速雄神社」があること、また、難読地名として有名な「放出(はなてん)」は前述の僧が草薙の剣を放り投げたことを古代の記述で「放ち出で(はなちいで)」と記述していた事からそれが基となってその地を「放出」としたといわれている。放出の近くには「八剣伝説」に由来する「八剣道路」なる道路もある。「鶴見」の地名の由来には諸説あるものの、「鶴見区」の名前の由来は、区内に「鶴見緑地」があった事によるとされている。
ウィキペディアより。