生國魂(いくくにたま)神社

大阪市天王寺区生玉町13-9(平成24年1月6日)

東経135度30分55.18秒、北緯34度39分42.56秒に鎮座。

 この神社は地下鉄谷町九丁目駅の南西約400mに鎮座しています。参道入口から西に約50m、大きな灯籠や社号標が立ち、鳥居をくぐると境内。正面に大きな入母屋造りの拝殿が建立され、その後方に、「生國魂造」と呼ばれる本殿が白塀内に建立されています。戦火に焼かれましたが、戦後コンクリート造銅板葺きに復興されました。
 社殿東には良く整備された綺麗な鎮守の杜・生玉の杜や数々の境内社が祀られ、又、此の地に縁の「上方落語発祥の地」碑や井原西鶴像が置かれています。
 式内社で官幣大社の由緒に相応しい素晴らしい大神社でした。

 主祭神:生島大神、足島大神、配祀:大物主神
 祭礼日:例祭・ 9月9日、生玉夏祭・7月11日〜12日、彦八まつり・毎年9月の第1土曜日、日曜日
 境内社:天満宮、住吉神社、 皇大神宮、精鎮社、稲荷神社、源九郎稲荷神社、鴫野神社、城方向八幡宮、鞴神社、家造祖神社、浄瑠璃神社
 由緒:式内社で、旧社格は官幣大社。難波大社ともいう。地元では「いくたまさん(生玉さん)」と呼ばれる。
 生島大神・足島大神を主祭神とし、相殿に大物主大神を祀る。主祭神二神は宮中でも生島巫によって祀られ、歴代の天皇即位の際には国家の祭祀として二神を祀る「八十島祭」が行われた。
 社伝では、神武東征の時、難波津に上陸した神武天皇が、国土の神である生島神・足島神を現在の大阪城付近に祀ったのに始まると伝える。『日本書紀』の孝徳天皇の条で「(孝徳天皇は)仏法を尊び、神道を軽んじた」とあり、その例として生國魂社の鎮守の森の木を切ったことが挙げられている。延喜式神名帳には「難波坐生國咲國魂神社 二座」と記載され、名神大社に列している。
 石山本願寺建立の際には、この生国魂神社を隣接地に遷座して建立したとも言われるが、だとするならば石山本願寺は生国魂神社の最初の鎮座地に存在したことになる。また、近年の研究によれば石山本願寺は豊臣期の大阪城の詰之丸に存在したとの説もあるが、これがもし事実ならば、生国魂神社の最初の鎮座地は豊臣期の詰之丸付近に相当する、現在の天守閣周辺ということになる。戦国時代には、石山本願寺に隣接していたため石山合戦で焼失した。天正11年(1583年)、豊臣秀吉が、大坂城を築城する際に現在地に社地を寄進して社殿を造営し、天正13年(1585年)に遷座した。このときに造営された社殿は、「生国魂造」と呼ばれる、流造の屋根の正面の屋上に千鳥破風、唐破風さらにその上に千鳥破風と3重に破風を乗せるという独特の建築様式のものである。元和元年(1615年)の大坂夏の陣で炎上し、徳川秀忠が再建した。
昭和20年(1945年)、太平洋戦争の空襲で焼失した。戦後の昭和24年(1949年)、木造の本殿を再建したが、翌年のジェーン台風で倒壊。昭和31年(1956年)、鉄筋コンクリートで生国魂造の本殿を再建した。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

参道入口
社号標
「難波大社
生國魂神社」
参道の様子
社頭
社号標 入口に立つ明神鳥居
境内入口に居る昭和36年生まれのブロンズ狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和36年(1961)1月建立)
境内の様子
拝殿
拝殿内の様子
本殿 屋根と正面

境内社案内図

境内社: 天満宮 拝殿
天満宮 本殿
境内社:住吉神社 拝殿
住吉神社 本殿
境内社:皇大神宮 拝殿
皇大神宮 本殿
生玉の杜 境内社 入口
境内社参道に立つ明神鳥居
境内社参道
境内社:精鎮社 全景
精鎮社の両部鳥居
精鎮社 社殿
水の神を祀る精鎮社の滝
境内社:稲荷神社の鳥居
稲荷神社 拝殿
稲荷神社 本殿と神使い
境内社:源九郎稲荷神社の鳥居 社号標 拝殿
源九郎稲荷神社 本殿と神使い
境内社:鴫野神社の鳥居 社号標
鴫野神社
鴫野神社
巳さんの御神木
境内社:城方向八幡宮の鳥居 社号標
城方向八幡宮 拝殿と透かし塀
城方向八幡宮 本殿
境内社:鞴神社の鳥居 社号標 拝殿
鞴神社 本殿
鞴神社 刀剣鍛錬神事の写真(境内写真より転載)
境内社:家造祖神社の鳥居 社号標 拝殿
家造祖神社 鳥居と本殿
境内社:浄瑠璃神社の鳥居 社号標 拝殿
浄瑠璃神社 本殿
生玉の杜
井原西鶴像
南坊址
「上方落語発祥の地」碑

今年の干支大絵馬
生國魂神社絵馬 干支絵馬
干支絵馬 境内社:天満宮絵馬
境内社:鴫野神社絵馬 境内社:城方向八幡宮絵馬
境内社:鞴神社絵馬 境内社:家造祖神社絵馬
境内社:浄瑠璃神社絵馬 彦八まつり絵馬