神明神社

大阪市大正区鶴町2-7-29(平成24年1月6日)

東経135度27分30.79秒、北緯34度38分10.63秒に鎮座。

 この神社は鶴町小学校西に鎮座しています。
 参道の入口は鶴町中央公園西に在り公園内を通って神社に向かいます。神社の入口には社号標と二の伊勢鳥居が立ち、南面した拝殿前にはブロンズ製の狛犬がいます。拝殿後にはコンクリート製神明造りの本殿が建立されています。
 又、境内にはおみくじ納め所や合社、境内社等が点在し、とても丁寧な祀り方をされていると感じました。

 御祭神:天照皇大神、八幡大神、春日大神
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、2月節分日・節分祭、6月30日・夏越しの大祓、7月16 17日・夏祭り、11月中・七五三祝い、12月31日・年越しの大祓、毎月1日・月旦祭、17日・月次祭
 境内社:橘稲荷神社、琴平宮島二柱社、桜根稲荷社、出世天満宮
 由緒:始め後陽成天皇の御代に京都の西院に祀られました。
 徳川家康の外孫で後に養子となった松平忠明が、大阪夏の陣に向う途中当社で戦勝を祈願し、華々しい軍功を立てました。その後の論功行賞で大阪城主となった忠明は、神明神社の霊験灼かなりと、大阪城・町中の守護神として元和2年京都から大阪蝋燭町(後の内平野町)に遷されました。爾後朝日の神明・夕日の神明と共に大阪三神明の一つに数えられ、南面の当社は日中の神明又は照日の神明と称せられ、三郷(南・北・天満)町中の祈祷の社として尊崇され大阪の祈祷所と呼ばれました。
 往時の社地は広大でしたが、時代が下るに連れ狭小し、松屋町筋拡張工事が境内地にかかる事となる折、特に大正区鶴町住民の熱烈な誘致により、大正13年8月鶴町・鶴浜通・福町・船町の氏神として鶴町一丁目に遷座奉齋してまいりました。
 大東亜戦争で青銅製の神馬を供出。昭和20年3月13日、同年6月1日の戦禍で、摂社以外の社殿や社務所、倉庫、祭具、書画宝物、神社の記録まで一切焼失しました。
 昭和23年10月地元会社氏子有志の篤信により復興。昭和28年10月土地区画整理の為、現在地に遷座致しました。
 社殿としては戦後の材料難から充分なものではなかったため、氏子崇敬者会社工場の御奉賛をいただき昭和52年6月本社殿御造営。昭和60年玉垣竣工。平成2年10月末社・神輿庫・手水舎御造営。平成10年長年の懸案であった区画整理換地精算完了。
(「神明神社公式サイト」より)

鶴町中央公園西入口に立つ一の靖国鳥居
鶴町中央公園内の参道
社頭
神社入口に立つ二の伊勢鳥居 社号標
参道・境内の様子
拝殿前、明治44年生まれのブロンズ狛犬
精悍な顔つき、胸板が厚く野性的な身体、燃え立つような大きな尾を持つ、威厳の感じられる狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治44年(1911)3月吉日建立)
拝殿
拝殿内の様子
本殿 側面と正面

合社全景
向かって左から 出世天満宮、琴平宮島二柱社、櫻根稲荷社
合社を護る小さな狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
境内社:橘稲荷神社 入口と拝殿
橘稲荷神社の神使い・お狐様
橘稲荷神社本殿
橘稲荷神社の神使い・お狐様
絵馬