高砂神社

大阪市住之江区北島3-14-12(平成24年1月6日)

東経135度28分50.18秒、北緯34度35分49.16秒に鎮座。

 この神社は大和川右岸堤防下に鎮座しています。
 入口には社号標、鳥居が立ち、狛犬がいて、境内奥石垣の上の朱のしかし塀内に拝殿・本殿等が建立されています。境内周囲には境内社が点在し、珍しい「願い石」も置かれていました。
 市街地で人口密集地帯の中の神社ですが、大きな木が聳えた落ち着いた雰囲気の神社でした。

 御祭神:天水分神、住吉大神、柿本人麿神
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、2月3日・節分祭、7月16 17日・例大祭
 境内社:洲先稲荷社、金山彦神社、天神社
 由緒:元禄十六年(1703)幕府の布令を以て、大和川付け替え以来住之江浦に土砂が堆積して浅洲を形成するようになり、大坂淡路町の両替商加賀屋甚兵衛は堺に往来する途中、霰松原から見た西方の浅洲が新田に適しているとし、享保十三年(1728)より開墾に着手し北島新田と名づけ、元文二年(1737)一応の完成を見ましたので代官疋田庄九郎の検地を受けるとともに、御見捨地十五間四方(約900m2)を以て境内と定め、出身地の河内国石川郡新堂村の産土神天水分大神を勧請、神職松原大蔵の奉仕により鎮斎『はや住之江に着にけり』と謡われた謡曲「砂(高砂)」に因み、高い砂丘に位置するために「砂(高砂)神社」と高づけられましたのが元文二年(1737)九月二十六日の事、これが御鎮座の初めであります。
 加賀屋甚兵衛はその後さらに加賀屋新田を開発し、北島新田は宝暦四年(1761)以来堺の甲斐町小山屋久兵衛が継承し、宝暦十一年(1761)社殿御造営を行い、柿本人麿朝臣の神像をも松原大蔵子息松原出羽守幸正が奉斎しました。
 しかるに天保六年(1835)八月二十七日夜出火し、社殿を焼失しましたのでここに住吉大神を奉斎するとともに翌天保七年(1836)再建し、八月二十八日住吉大社神職山上松太夫の奉仕で正遷宮を行いました。
 明治五年(1873)村社に列し、境内地は小山屋久兵衛の後明治三十五年(1902)以来濱田甚兵衛の所有地でありましたが、村社として村民によって維持せられ、昭和六年(1931)三月、神饌弊帛(シンセンヘイグ)料供進社に指定、戦後昭和二十七年(1952)十二月十日付を以て宗教法人法による宗教法人として認証、全国の神社が宗教法人と成った際寄進せられ今日に至っています。
 昭和四十二年(1967)には御鎮座二百三十年祭に当たり御造営が行われ、昭和六十年(1985)には昭和の大修理として社殿、社務所、神庫等を大々的に改築し、九月二十六日遷座際、翌二十七日同奉祝祭並びに御鎮座二百五十年大祭を執行しました。
(「高砂神社公式サイト」より)



社頭
入口に立つ明神鳥居 鳥居に掛かる額
鳥居後にいる昭和3年生まれの狛犬
阿は玉乗り、吽は子取りの狛犬です。随分頭の大きな狛犬達ですね。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和3年(1928)9月建立)
境内の様子
上の境内入口
拝殿
拝殿内の様子
透かし塀と本殿
本殿脇にいる古そうな浪速狛犬
吽には小さな突起があり賢そうなワンコタイプですが、二重の塀に阻まれて至って困難な撮影状況でした。
撮影不能でした。

境内社:天神社
御祭神:菅原道眞神、金比羅神、八幡大神
境内社:金山彦神社
御祭神:猿田彦大神、天鳥船神、道之八衢神、金山彦神
境内社:洲先稲荷社
御祭神:保食大神、宇迦御魂神
洲先稲荷社の神使い・お狐様
願い石 これも願い石?
御神木
御神木 御神木
絵馬