止止呂支比賣命(とどろきひめのみこと)神社

大阪市住吉区沢之町1-10-4(平成24年1月7日)

東経135度30分0.53秒、北緯34度36分5.47秒に鎮座。

 この神社は南海高野線・沢之町駅の南約150mに鎮座しています。社地の前方はあべの筋に、裏側は南海高野線の線路と隣接していますが、境内に大樹が聳えるせいか、騒音も気にならず、清々しい雰囲気の神社でした。
 「式内止止呂支比賣命神社」と記された社号標を横に見て、入口には大きな注連柱が立てられ、参道途中に明神鳥居が建立されています。石畳の参道正面には、千鳥破風入母屋造りの拝殿が建立され、板塀内には朱と白の配色が綺麗な、妻入りの本殿が建立されています。
 境内には霰松原荒神社、遥拝所、稲荷社他の境内社が祀られ、本殿後には後鳥羽天皇の行宮跡があります。又、駐車場入口には文政5年生まれの浪速狛犬がいました。
 境内社となっている霰松原荒神社(天水分豊浦命社)は式内社で、明治4年住吉大社から独立し、明治40年に止止呂支比売命神社に遷座、この社の境内摂社となったのだそうです。

 御祭神:素盞鳴尊、稲田姫尊
 祭礼日:春祭(鎮火祭)・4月8日、夏祭・7月11日12日、秋祭・10月7日8日、冬祭(鎮火祭)・12月8日
 境内社:霰松原荒神社、遥拝所、稲荷社他
 由緒:御鎮座の年代は不詳でありますが、延喜式の神社神名帳に、当神社名がみられます。当時、境内松林の中に清らかな清水が湧く轟池にトドロキという橋が架っており、住吉大社の摂社(奥の院)として奉斉されておりました。 承久3年(1221)、後鳥羽天皇が御幸のおり、当神社境内地内に、行宮を、お築てになったことより、若松神社又は若松宮と称し、氏子の方々より「若松さん」とひたしまれ氏神様として崇め奉られております。
 現在の氏子区域は、墨江、清水丘、遠里小野、安立住之江、西住之江、浜口東、浜口西、沢之、殿辻、千躰南住吉(2〜4丁目)の各町と山之内の一部です。

社頭
表参道入口
社号標「式内
止止呂支比賣命神社」
参道途中に立つ明神鳥居
拝殿
本殿
側面と正面

遥拝所
境内社:稲荷社
境内社:稲荷社?
境内社:霰松原荒神社(天水分豊浦命社)
霰松原荒神社額 「天水分豊浦命社」社号標石
御神木・楠木
御神木・楠木
絵馬殿
絵馬
駐車場入口に居る文政5年生まれの浪速狛犬
吽には角があり、比較的出来の良い狛犬でしたが、砂岩で造られている為、剥落が酷くなっています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文政5年(1822)壬午12月吉日建立)