姫嶋神社

大阪市西淀川区姫島4-14-2 (平成25年12月8日)

東経135度27分21.58秒、北緯34度42分04.91秒に鎮座。

この神社は、阪神電鉄・姫島駅の西200m程の辺り、賃貸住宅等も立ち並ぶ住宅街に鎮座しております。地図を見ると歌島、竹島、出来島、中島、西島、百島、御幣島と「島」の付く地名が並び、淀川、大和川の河口デルタ地帯で多くの島が芦の中に浮かんでいた時代があったようです。其の頃は当社も本当の島の上に鎮座していたことでしょう。

御祭神 阿迦留姫命・住吉大神

由緒
阿迦留姫命と住吉大神を祀る。創建年代は不明。豊臣秀吉の時代に一時は住吉神社(すみよしじんじゃ)と称したが、明和3年(1766)に社名を元に戻す。ご祭神阿迦留姫は、『古事記』によると「赤い玉より生まれた美人で新羅の王子、天之日矛と結婚、常に美食を用意して仕えたが、高慢な夫の態度に耐えきれず、難波に逃げ帰った」とある。また『摂津国風土記』逸文には「新羅の女神が夫のもとを逃れ、筑紫の国の伊波比の比売島(大分県姫島)に暫くいたが、ここは新羅から近いので、きっと夫が追いかけてくるに違いないと摂津の国に移り住んだ。そして、もといた島の名をとって比売島と名付けた」とある。姫島は難波八十島の一つで阿迦留姫が留まった比売島が、この地にあたると伝えられてきた。
古老の話によるとヒメが訛ってヒエ(稗)島と呼ばれ、ヘジマと発音していたという。また、この地は木綿織がさかんで女性は三巾前掛をして、よく働いたという。この機織の技術や前掛は阿迦留姫が広めたと伝えられている。ただし大坂で木綿の栽培が始まったのは、戦国時代といわれ、史実と異なるが、このような伝承が残っているのも阿迦留姫命をこの地の産土神として、人々が大切に祀ってきたからであろう。境内には、姫島に関する万葉歌碑がある。
妹が名は 千代に流れん姫島の 小松が末に 苔むすまでに
妹はこの地で亡くなった乙女を作者が親しみをこめて表したもので、あなたの名はいつまでも世に語り伝えられるであろうと詠んだ。
境内由緒書き より

参道入口

神額

参道

境内

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正9年(1920)12月建立)

本殿


玉榮稲荷神社


元楯社

金毘羅宮

楠社

歌碑「妹が名は 千代に流れん姫島の 小松が末に 苔むすまでに」