鴉宮(からすのみや)

大阪市此花区伝法2-10-18(平成24年1月6日)

東経135度27分27.55秒、北緯34度41分2.52秒に鎮座。

 この神社は新淀川の河口近く、伝法駅の南東約360mに鎮座、境内は正連寺川の土手下に造られており、土手から神社を見下ろせます。
 道路端にある入口には社号標、鳥居が立ち、八咫烏の彫刻が施された由緒の案内板や行事表などが置かれています。正面には社殿が横向きに見え、境内に入ると左には社務所、右に手水舎が配され、参道を一旦土手の方に向かうと左の注連柱の奥に社殿が建立されているという造りになっています。正面中央に船の舳先が設えられた拝殿、中門、透かし塀、本殿はいずれも「国登録有形文化財」となっています。
 その社殿右には境内社や遥拝所が祀られ、渡御に使用される船などが置かれ、整備が行き届いた神社でした。
 又、狛犬も新旧取り合わせて大事にされている感じがしました。

 御祭神:天照皇大神、住吉大神(四神)、神使霊鳥 八咫烏、恵比須大神、市杵島比売大神
 祭礼日:1月10日・此花ゑびす大祭、8月1日・夏例大祭、11月3日・秋例大祭
 境内社:酉島神社・秀野神社・申村愛宕神社、琴平社・北港神社・常吉神社・鴉宮稲荷大明神
 由緒:此花区に残る最も古い伝記として、第八十四代順徳天皇の御代建保三年四月(1215)、村と港の繁栄を祈念し、伝法村の中心に傳母頭(もりす)神社として御鎮座されたが、文禄元年二月(1592)豊臣秀吉瀬戸内より日本海への渡航に際し御神前に祈願せしところ、御社殿奥の森より、三足の鴉が出現、航海の安全守護 他、瑞祥を示さんとの神告があり、お告げの通り無事平安に帰国を果たした。
 秀吉この事に多いに感激し、神社名を以後、「鴉宮」に改めよと命名、自ら鴉の巣を成している所、すなわち現在地に御遷宮したと伝う。
 現在、正連寺川に架る橋を「森巣橋」というのも、この御由緒によるものである。
「三足の鴉について」
 往古より、熊野郡那智大社、山形出羽天山神祓、京都下鴨神社等、霊鳥「八咫烏(やたがらす)」すなわち三足の鴉に 関係した神話が多くのこされており、瑞兆に尊く神使として崇められている。 
(境内御由緒より)

 此花区に残る最も古い伝記として、順徳天皇の御代健保三年四月(1215)、村と港の繁栄を祈念し、伝法村の中心に傳母頭(もりす)神社として鎮座されたのがはじまり。
 文禄元年(1592)、豊臣秀吉が出兵の際、瀬戸内より日本海への安全を祈願したところ、神告どおり海路平安、また三本足の霊鳥「八咫烏(やたがらす)」が軍船の前後を飛んで船を守ったと言われています。
 これに感激した秀吉が、帰国後、神社名を「鴉宮」と改め、現在地に遷宮したと伝えられています。
(境内「此花おもしろトレイルルート」の説明板より)







社頭
入口に立つ靖国鳥居 社号標
参道の様子
手水舎
境内の様子
境内中央に立つ注連柱
拝殿前、建立年代不明の狛犬
吽には角があります。顔つきは現代的なのですが、剥落や創があり、全体の雰囲気や尾の付き方から、古い物かも?という気もします。
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿 側面から
拝殿 正面から
正面中央に船の舳先が設えられているのがとても珍しく、村と港の繁栄を祈念して創建されたこの社に相応しく感じました。
拝殿目貫彫刻・松に留まる八咫烏
拝殿木鼻・狛犬
中門と透かし塀
中門前の狛犬
本殿 左右から

境内社:酉島神社・秀野神社・申村愛宕神社 入口
酉島神社・秀野神社・申村愛宕神社 社殿
酉島神社・秀野神社・申村愛宕神社を護る狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
境内社:琴平社・北港神社・常吉神社 入口
琴平社・北港神社・常吉神社 社殿
琴平社・北港神社・常吉神社を護る平成17年4月吉日生まれの岡崎現代型狛犬
境内社:鴉宮稲荷大明神・酉島神社・秀野神社 入口
鴉宮稲荷大明神・酉島神社・秀野神社 社殿
鴉宮稲荷大明神・酉島神社・秀野神社の神使い・お狐様
伊勢神宮遥拝所