露天神社

大阪市北区曽根崎2-5-4(平成20年1月4日)

東経135度30分13.49秒、北緯34度41分43.84秒に鎮座。

 この神社は大阪駅の南東約600mに鎮座しています。通称「お初天神」と呼ばれ、元禄の頃、堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」がこの社の天神の森で情死する事件が起こり、これを近松門左衛門が「曽根崎心中」として劇化、大評判となり参拝者が増え、この別名を持つ様になったという事です。

 御祭神:少彦名大神、大己貴大神、配祀:菅原道真公、合祀:天照大神、豊受姫大神
 例祭日:2月3日・筋分祭、4月7日・慰霊祭、7月20日前後の2日間・例大祭(夏祭)
 境内社:開運稲荷社、水天宮、金刀比羅宮、境外地:夕日神明社碑
 由緒:曾根崎は、上古曽根州と称する孤島で島中に一小祠があった。 地名曽根の名は難波八十島祭の一つであった往吉住地曽祢の神を祀り、この御神名によって曽根州たる地名が起こったという。
 後、後陽成天皇の御神名御宸筆を御霊代として菅原道真公を配祀、曾根崎天神の名がある。 延喜元年一月、菅原道真公筑紫に太宰権帥として左遷配流の道すがら太融寺参詣にこの社地をすぎられた時、路上の草露深く袖を濡らしたので「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思いいづれば」と詠ぜられたのが、露天神社の名の起こりといわれている。
 又五月入梅の侯になると社地より清水が涌出したので、梅雨の天神と称せられるようになり、現在も境内に神泉露の井戸があり、その跡といわれるがいづれもその出所は詳かでない。 旧記によれば文明五年及天文三年、両度再建せられ、元和元年、大坂夏の陣の兵火に炎上、同八年、この地の豪族渡辺氏によって造営され、次第に土地の繁栄と共に当地の産土神と尊崇せられるようになった。 古くは北野天神、大阪天満宮とこの三社をもって世人かなえの三足にたとえて、「三鼎の宮」と称し有名であった。
 明治5年、郷社に列し、同40年、難波神明社を合祀、同43年、金刀比羅宮、水天宮を末社として奉斎する。明治42年、北区の大火により嘉永2年4月造営の社殿、社宝、旧記等烏有に帰したが、幸い伊勢神宮滝原宮の遷宮古材を得て、大正10年に旧にまして壮麗に復興されたが、昭和20年6月、今次大戦の災に罹り惜しくも末社を残し焼失した。
 その後氏子崇敬者の奉賀を得て昭和32年9月日、壮厳なる社殿を造営、遷座祭を斎行し、次で昭和52年10月、菅原道真公御神忌1075年祭ならびに社殿復興20周年記念事業として社殿の修復、透塀玉垣等新設。
 合祀の難波神明社は、夕日の神明とも称し春日出朝日の神明社、鶴町日中の神明社と共に大阪三神明といわれ、社殿が西に向かっていたのでこの名がある。又、東京芝神明宮、京都松原神明宮、同東山神明宮、加賀金沢神明宮、信濃安曇神明宮、出雲湯殿山神明宮と当神明宮をもって日本七神明という。又この社は、嵯峨天皇の皇子河原左大臣源融公が弘仁12年に今の西天満伊勢町辺の一孤島に祀られたのがその始めで、この地を大神宮北の州、又は神明の鼻と称し、現在の伊勢町、木幡町の名の起こりでもある。後醍醐天皇の御代には勅願所と定められ屡々行幸せられ、後徳川氏の世に至っては大坂城代及両町奉行の尊崇ことに厚く境内も広大であったが、天保5年7月火災により社殿悉く焼失し次第に衰頽に赴き、明治40年12月、当社に合祀された。
 末社は金比羅宮、水天宮、稲荷社があり、金比羅宮はもと中之島高松藩邸に祀られ讃岐国金比羅宮社のご分霊を勧請、水天宮は久留米藩邸に祀られたのを明治になり、藩邸を上地その後当社に遷座された。
 又、通称お初天神という名の起こりは、元禄16年4月7日、堂島新地天満屋の抱えお初と、内本町醤油問屋平野屋の手代徳兵衛が、当社天神の森で心中し大阪中の評判になった。近松門左衛門は直ちにこれを劇化、翌月5月7日、道頓堀竹本座の舞台にかけ、近松の名文とあいまって大当たりとなり竹本座の不振を一挙に挽回したという。「この世も名残り、夜も名残り、死にに行く身をたとふれば、仇しが原の道の霜、一足づつに消えて行く夢の夢こそあはれなれ」浄瑠璃 曾根崎心中道行の一節近松門左衛門の曾根崎心中は社会劇ともいうべき世話物浄瑠璃の初作として、演劇史、文学史的にも重要な意義と価値をもつといわれている。
(「平成祭礼データ」より)

神社正門入口
社号標 正門参道の様子
境内の様子・蚤の市
骨董市が開かれ、参拝者だけでなく、
骨董品目当ての方もいるようです。
拝殿
僅かに見える本殿屋根
境内社:水天宮、金刀比羅宮
水天宮、金刀比羅宮社殿内の様子

水天宮、金刀比羅宮前の昭和3年生まれの狛犬
何ともふくよかなお顔で、吽には角が付いています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和3年(1928)5月吉日建立)

曽根崎心中 お初 徳兵衛 ゆかりの地 お初 徳兵衛像
道祖神 「曽根崎心中 お初 徳兵衛 ゆかりの地」碑

境内社:開運稲荷社入口 開運稲荷社社殿内の様子
開運稲荷社参道のお狐様
開運稲荷社社殿内のお狐様
開運稲荷社社殿内のお狐様
自然石を使った重厚な燈籠 北門参道の様子
北門の社号標
「お初天神 露 天神社」
神社北門入口

境内案内図はこちらで