八坂神社
大阪市平野区喜連東2-1-21(平成24年1月7日)
東経135度33分43.49秒、北緯34度36分35.45秒に鎮座。
この神社は加美駅の南南西約1.7kmに鎮座しています。入口は住宅の間にあり、「八坂神社」と書かれた額が掛かる鳥居が立っています。西に向かう参道途中には「遥拝所」碑が立ち、明るい境内に入るとぐっと視野が広がり、開けた感じがします。右手に参集殿兼社務所が配され、中央奥に唐破風付き入母屋造りの拝殿、奥の塀内に妻入りの本殿が建立されています。そんなに大きな神社ではないのですが、すっきり感が残る境内でした。
御祭神:八坂大神、素盞嗚尊、忍坂大神、忍坂大中姫命、熊野大神、山皇権現、春日大神
祭礼日:不明
由緒:当神社は元々喜連地という地名の処に鎮座されていたが元亀時代(1570)頃現在の所に鎮座された。村社の東西神社は元八坂神社と称し祭神に素盞嗚尊を祀り、一つに牛頭天王と呼ばれていたが嘉永年間忍坂大中姫命を祀られいつしか媛天神として祀られた。元山皇の西にあったが往古よりの山皇権現鎮座を元禄の時代に八坂神社の境内に移してあった
のを合祀したものである。
東西神社と改称したのは合祀によるもので氏子が東西喜連村にまたがっていたので東西
の二字をもったのである。
明治四十年九月村社楯原神社、村社東西神社(旧東喜連村にあり、素盞嗚尊 忍坂大中姫命合祀)及び無格社春日社(旧東喜連村の南端に鎮座)を天神社に合祀してあったところ由緒ある盾原神社の社名が没するのを非とし同四十三年十二月天神東西春日の三社が現在の楯原神社に合祀された。
昭和二十六年東喜連氏子一同の要望により東西社春日社の両社を同年七月十五日元の東喜連に分離移転した。また同時に地域の氏子も分かれた。

入口に立つ明神鳥居 |
鳥居に掛かる額 |
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参道の様子 |
遥拝所碑 |
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境内の様子 |
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御神木 |
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