中臣須牟地(なかとみすむち)神社

大阪市東住吉区住道矢田2-9-20(平成24年1月7日)

東経135度32分30.86秒、北緯34度36分2.76秒に鎮座。

 この神社は矢田駅の東南東約600mに鎮座しています。社殿の真南に入口があるのですが、そこは「開かずの門」で、参道の入口は社地の南西にあり、そこから玉垣に沿って社地の南側を約80m程参道が続きます。境内に入ると左に手水舎が配され、参道右側には大楠を祀る楠神社。向拝のない拝殿を文政8年生まれの浪速狛犬が護り、その後に弊殿、本殿鞘堂が建立され、外側には嘗ての白塀と思われる崩れた土塀が残されています。又社殿左奥にも境内社が祀られています。
 由緒のある神社のようですが、何とも不思議な造りで、この形式で古代から受け継がれてきたのでしょうか?

 御祭神:中臣須牟地神、配祀:神須牟地神、須牟地曽祢、住吉大神
 祭礼日:10月12日・秋祭
 境内社:厳島神社、楠神社、道祖社
 由緒:式内社調査報告書の摂津国編や、湯里住吉神社社伝によると、この神社は元・磯歯津路(ほぼ長居公園通)と狭山西除天道川(西除川)が交差する圓明寺のある場所の東北詰に、小高い丘(天神山)があり、その南麓(現在の矢田北小学校のある場所)に鎮座していたように思われます。
 ここから南に240mの天道川の右岸に当たる場所に現在、妙宏山法華寺法悦閣があり、この寺の西塀を撤去して改築した時に、大量の川砂とシジミ貝が出土したので、江戸時代中頃までの天道川の川幅は、この辺りから西に100m余りもあったと推定できます。
 また、この川を東西に横断していた磯歯津道の渡場跡の伝承があり、「天道の渡」と呼ばれていたとの伝承があります。 現在の神社はこの地点より、更に南580mに移転して、鎮座しています。
式内社調査報告書によれば、この地域には珍しい「大社」の社格をもつ式内社で、住之江に上陸した外国の使節を、 磯歯津路に沿って飛鳥に案内する際に、近隣の神社から奉納された地酒を振る舞って、大いに使節団員を歓待した中心的な神社であったようです。
(「大阪市東住吉区役所HP」より)

社頭
参道入口に立つ明神鳥居 社号標
「式内中臣須牟地神社」
玉垣沿い、真東に約80m程続く参道
境内入口 手水舎
境内の様子
拝殿前、文政8年生まれの浪速狛犬
まったり、おっとりした感じの狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文政8年(1825)乙酉4月建立)
向拝のない拝殿
拝殿内の様子
弊殿、本殿鞘堂と本殿正面

境内社
お狐様をご神体として祀ってあるので、もしかしたら稲荷社かも?
境内社:厳島神社
厳島神社を護る文政8年生まれの狛犬
目が大きく、楕円形の牙が特徴的な狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文政8年(1825)乙酉4月建立)
境内社:楠神社
境内社:道祖社