阿麻美許曽(あまみこそ)神社

大阪市東住吉区矢田7-6-18(平成24年1月7日)

東経135度31分57.07秒、北緯34度35分31.66秒に鎮座。

 この神社は大和川にかかる下高野橋の南詰に鎮座しています。
 玉垣の立ち並ぶ入口には鳥居が立ち、左側金網のフェンスの中に社号標が建立されています。参道を北に向かうとすぐに嘗ての神宮寺の山門であった神門が建ち、御神木や提灯の行列の中を進むと、境内入口には注連柱が立っています。
 「開運松原六社」の中の一社であるこの社は特に混雑が激しく、拝殿前には行列が続いていました。唐破風付き入母屋造りの拝殿前には文化4年生まれの浪速狛犬が居り、本殿は三柱の神をそれぞれ別々に祀っているのでしょうか?千鳥破風が三箇所に見えました。
 又、参道から境内に掛けて境内社が点在し、参道脇の御神木が大きく聳えているのが印象的な神社でした。何時の日か、静かなこの社に参拝したい…と思いました。

 御祭神:素盞鳴尊、天児屋根命、事代主命
 祭礼日:例祭 戎祭・1月7 8日、夏祭・7月16 17日、秋祭・10月16 17日
 境内社:素釜三宝荒神社、今刀比羅宮、天照皇大神、稲荷神社
 由緒:開運松原六社参りのひとつ。素盞鳴尊・天児屋根命・事代主命を祭神とする。古くは阿麻岐志の宮ともいい、天美の地名の由来となった古社である。創建は平安時代初頭の大同年間(806〜809)と伝えられる。10世紀前半に、当時、祈年祭にあたって国家から幣帛をうけることができた由緒深い延喜式内社にも定められた。
 境内には、明治初年まで天見山の山号を持つ神宮寺があった。南および東に建つ門は同寺の山門である。拝殿前の一対の狛犬の台座に「天見山」「阿闍梨快道之代」「文化4年9月」の銘があり、社僧が文化4年(1807)に建立したことがわかる。
 手洗舎の東側には「行基菩薩安住之地」の石碑が建っている。江戸時代には、同地に奈良時代の高僧である行基が居住していたという伝承があった。神社北西の大和川に架かる橋を行基大橋と呼ぶのはこのためである。
 …後略…。

社頭
入口に立つ明神鳥居 社号標
「郷社 阿麻美許曽神社」
神門
参道の様子
境内入口の注連柱
拝殿前、文化4年生まれの浪速狛犬
阿は伏せ耳、吽は立ち耳で、浪速の特長が良く出ている狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文化4年(1807)丁卯9月建立)
拝殿
拝殿内の様子
本殿

境内社:素釜三宝荒神社
境内社入口に立つ神明鳥居
境内社:今刀比羅宮 磐座?
境内社:天照皇大神
境内社:稲荷神社
御神木・大楠
御神木・大楠