大宮

大阪市東淀川区大道南3-2-2 (令和2年1月3日)

東経135度32分59.77秒、北緯34度44分19.87秒に鎮座。

この神社は、JRおおさか東線・淡路駅の東2.5km程の辺り、大道南の街中に鎮座しております。

御祭神 素盞鳴命・聖徳太子・天手力男命・大己貴命

由緒
『日本書紀』に 安閑天皇がしばしば当地に行幸、牛を放牧して土地の発展を計ったとあり、後にその遺徳を偲び地主の神、素盞鳴命の社に祭祀したとされるがさだかではない。また、『大正大阪風土記』(1926年)によれば、聖徳太子は初め四天王寺を当地に計画したが、洪水が多いため今の天王寺に建立されたと記している。淀川の改修に伴い境内地が水没または河川敷となる為、明治33年(1900年)に淀川右岸の堤に面した場所から遷座され、現在地に至る。遷座前は杉松の大樹があったとされる。淀川を遡上する船はこの森を目標に進み、燈台の代わりを為しており、大宮大明神とも大宮大権現とも称されていた。また、氏地の大半が河川敷となるかまたは川に沈み、残った地も淀川の右岸と左岸に分断されることとなった。
その後昭和46年(1971年)に淀川左岸の旭区の町名変更に伴い、氏地の橋寺町、豊里町、豊里三番町が太子橋、大宮、中宮、生江と同じくなり、氏地の境目は不鮮明となった。
大阪市に編入される大正14年(1925年)まで境内のあった土地は西成郡豊里村天王寺庄と称され、氏地である豊里町の名も太子の別称豊聡耳皇子によるとされる。
明治5年(1872年)村社に列し、大宮神社と称す。
明治33年(1900年)5月25日、淀川改修のため、旧淀川北岸より遷座。
明治43年(1910年)大宮と改める。
明治43年(1910年)10月、上の島の豊国神社(天手力男命)を合祀。
明治44年(1911年)5月、神饌幣帛料供進社に指定される。
大正8年(1919年)6月、橋多賀神社(大己貴命)を合祀。
ウィキペディアより。

神社入口

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿内部

本殿覆屋


八幡社

稲荷社

豊光社