大宮神社

大阪市旭区大宮3-1-37 (令和2年1月3日)

東経135度32分52.57秒、北緯34度43分20.29秒に鎮座。

この神社は、京阪電気鉄道京阪本線・森小路駅の北西1.2km程の辺り、大宮の街中に鎮座しております。

御祭神 応神天皇・神功皇后・姫大神

由緒
伝承によれば、寿永元年(1185年)2月、平家追討の最中に源義経がこの地で宿を取ったところ、宇佐八幡神の霊夢を見、目覚めると梅の木に鏡がかかっていた。それを手にした義経は軍神であり源氏の氏神でもある八幡神の力を得たとばかりにその鏡を奉じて平家を打ち滅ぼした。このことを後鳥羽天皇に奏上すると神社の建立を許され、この地に大宮八幡宮を建立した。摂津誌には「南島神社」と記されている。
天正11年(1583年)、豊臣秀吉によって大坂城が築かれると大坂城の鬼門守護神とされ、秀吉の保護を受けて境内の整備が行われた。毎年1月、5月、9月には幣帛を献じられ大いに栄えた。
江戸時代にも引き続いて大坂城の鬼門守護神とされ、大坂城代の交代時には当社への参拝が行われた。他にも毎年1月には初穂料、5月、9月には大幣を献じられたが、社殿などは年を追って衰微していった。しかし、天明年間(1781年 - 1789年)、寛政年間(1789年 - 1801年)に祠官廣渕善直が社殿・境内の復旧に努めて中興し、従五位下に叙せられている。
明治時代になると村社に列せられている。
明治時代の末期に近辺にあった十五神社(十五社大神が祀られていた)や森小路神社などの7社を合祀したため、非常に数多くの神々が祀られることとなった。そのために1912年(明治45年)4月には大宮八幡宮の名称を大宮神社と改め、鳥居に掛かっていた「大宮八幡宮」の額が下ろされた。現在ではその額は神輿庫に保管されている。
2020年(令和2年)5月、修復中の摂社・高良社より等身大の豊臣秀吉(豊国大明神)坐像が発見された。社伝では大坂夏の陣の際に大坂城より運ばれたものであるとされていたが、制作は17世紀中頃のようである。束帯姿で像高は81.9センチメートルあるが、頭上の冠は無くなっている。近現代に作られた秀吉像を除けば最大である。文政6年(1823年)には、当時秀吉の人気が高まっていたこともあって当社で秀吉像の御開帳が行われている。この後、高良社に移されたようである。
ウィキペディアより。
大宮神社公式サイトはこちら。

参道入口

一の鳥居

二の鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(弘化2年(1845)乙巳9月吉日建立)

本殿板囲

本殿板囲前の狛犬。拡大写真はこちら。

(文政4年(1821)辛巳9月吉日建立)


稲荷社

高良社