大阪市旭区赤川4-19-13 (令和2年1月3日)
東経135度32分03.07秒、北緯34度43分36.81秒に鎮座。![]()
この神社は、JRおおさか東線・城北公園通駅の北800m程の辺り、淀川のすぐ南側に鎮座しております。
御祭神 大山咋神
由緒
正確な創建年代は不明であるが、鎌倉時代の初期にはこの地に天台宗の赤川寺(大金剛院)が建立されていた。平安時代にはこの近辺で多数の荘園が開発・経営されており、また、すぐ北を流れる淀川が頻繁に氾濫を起こす為、災害を鎮め、荘園経営を安定させようと寺院が建立されたと考えられる。
当社は文安年間(1444年 - 1448年)に、この赤川寺の境内に日吉大社から祭神を分祀して建立されたものである。当時は山王社(さんのうしゃ)または、山王権現(さんのうごんげん)という名称であった。
赤川寺は慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で焼亡し廃絶したが、当社は廃滅をまぬかれた。
1868年(明治元年)、日吉神社に改名する。また、府社に列せられている。1899年(明治32年)には淀川拡張工事のために本殿を約200m南の現在地へ移転する。
ウィキペディアより。
神社入口
境内
拝殿両脇の狛犬。拡大写真はこちら。
![]()
(年代不明)
拝殿両脇の狛犬。拡大写真はこちら。
![]()
(年代不明)
拝殿
本殿覆屋
芝守稲荷社
白い石神