佐太天神宮

守口市佐太中町7-16-25(平成24年1月5日)

東経135度35分39.06秒、北緯34度45分41.11秒に鎮座。

 この神社は淀川左岸近く、1号線・佐太中町7信号東に鎮座しています。
 1号線に立つ一の鳥居から参道は東に向かって約100mほど続き、その間、御旅所、愛宕社、稲荷社が参道脇に祀られています。
 神門を入ると、すっきりと落ち着いた境内中央奥に鈴昭和が護る唐破風付き入母屋造りの拝殿、弊殿と本殿が建立されていますが、本殿は府の指定有形文化財となっています。又、境内の北から東側には「大阪緑の百選」に選ばれた境内林が茂り、『河内名所図絵』にみえる江戸時代の景観を、現代までしっかりと残しています。

 御祭神:菅原道真公
 祭礼日:10月19日・例大祭
 境内社:愛宕社、稲荷社、白太夫社、佐太戎社
 由緒:この神社は、菅原道真公が左遷で太宰府へ流される途中、荘園であった当地に滞在された時、自作の木像や自画像を残されたと伝えられています。道真公の死後50年の天暦年間(947〜957)に、道真公を慕って祠を建てられたのが当社の創建であると伝えられ、室町期には大庭庄の惣社として崇敬されるようになりました。現在の社殿は永井尚政・尚庸父子や淀屋辰五郎等の手厚い保護や支援を受けて整備され、江戸時代初期の重要な建造物と言われています。
 当社には室町時代文安3年(1446)の箱書のある「天神縁起絵巻」六巻のほか、永井公より寄進をうけた狩野探幽の十一面観音画像をはじめ後水尾上皇を中心に当時の宮廷をとりまく皇族・公卿・画家・学者・高僧等の江戸初期の美術作品が多く奉納されています。
 また大和守安定の作刀になる刀とその拵である金梨子地塗糸太刀拵は、江戸初期寛文10年(1670)の銘があり安定の作品中でも大作に属する貴重なものとして大阪府指定有形文化財となっています。

表参道入口に立つ一の明神鳥居
社号標 一の鳥居に掛かる額
参道の様子
御旅所
参道途中に立つ二の明神鳥居
参道途中に祀られる境内社:愛宕社
参道途中に祀られる境内社:稲荷社
境内近くの参道の様子
神門
境内の様子
拝殿前、昭和44年生まれの鈴昭和
(昭和44年(1969)12月吉日建立)
拝殿
拝殿内の様子
弊殿と本殿
府指定有形文化財・本殿正面
現在の本殿は棟札によると、寛永17年(1640年)に再興した後、天和3年(1683年)から計9回の屋根替が棟札により確認されています。 建物は、一間社春日造、正面に軒唐破風がつけられています。 府文化財保護審議会では、「近世における神社の有様やそれが近世の村の中で担っていた役割がよく偲ばれ、建築的には端正な本殿、規模が大きくシコロ葺風に下屋を付加した拝殿などが特徴的で、府指定文化財とするに相応しい価値を有している」として、平成15年(2003年)に大阪府指定有形文化財に指定されました。
撫で牛 撫で牛

境内社:白太夫社
境内社:佐太戎社
佐太戎社社額 戎様の石像
豪商・淀屋辰五郎寄進の石井筒
偲び草
佐太は未だ寝ぬ時雨かな  蕪村
この碑文は蕪村が丹波から故郷毛馬に帰る途次時雨降る淀川の夜舟から見た佐太村の情景で自然を静観し人間的な暖かさを謳う俳聖蕪村翁の文人画家としての面目躍如たるものがある。
われら有志は由緒深きここに碑を建て衆とともに永く翁を偲ぶ機縁としたい。
神池・菅公水鏡の池
道真公が当地に滞在の折、この池に自分の姿を写し、自画像を描いたといわれています。
ご神木・子宝の樹
ご神木・大楠
南参道入口 神門