守居神社

守口市土居町61(平成24年1月5日)

東経135度33分42.61秒、北緯34度43分44.28秒に鎮座。

 この神社は土居駅の北西約200mに鎮座しています。商店街の一角に鎮座しており、アーケードを抜けて入口の鳥居を潜ると、参道右手に手水舎と磐座。奥の玉垣内が境内で、参道脇には3対の狛犬が居り、中央に唐破風付きの開放的で大きな拝殿、流造の優雅な本殿が建立されています。又、境内社にもそれぞれ狛犬が居り、珍しい「恵比須神像」も境内の小さな社殿内に納められています。
 鎮守の杜…とはいかないまでも、木々が豊かで、参拝者が絶えない様により、地域の人々に愛され崇敬されている事がよく分かる神社でした。

 御祭神:素盞嗚大神、賀茂別雷神
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、1月3日・元始祭、2月11日・紀元祭、2月17日・祈念祭、旧暦初午日・稲荷神社大祭初午祭、7月25日・夏祭鎮花祭、10月21日・秋季大祭例祭、11月23日・新嘗祭、12月4日・塞神社祭道饗祭、12月23日・天長祭、毎月1日15日・月並祭
 境内社:塞神社、稲荷神社
 由緒:当社は醍醐天皇延喜十八年九月十九日(九一八年)此の地に鎮座して、素盞嗚尊・賀茂別雷神をお祀りしてあります。 社記に天道神・太歳神・歳殺神、また素盞嗚尊。三輪明神・清瀧明神・日吉権現・新羅明神・三井神とも書いてあります。いづれも淀川流域の守護神として此の地に土居を築き社殿を構えてお祀りされたのが創りで、地名を土居の庄と称し、昔は土居神社と称号されておりました。
明治五年八月に守口町大字土居字田東(現在の滝井)産土神社(祭神素盞嗚尊)を、また明治四十年十月十日に守口町字猿島(現在の桃町)大隅神社(祭神賀茂別雷神で昔は渦神社と称していた)が合祀されてより守口の総氏神として守居神社と改称されました。
当社の社記によりますと、後宇多天皇建治年間(一二七五年)釈法仍沙門、当社を以って神佛護法の道場とし、霊感によりて本地垂迹説を称へ三社の神体を奉じて祈祷修法を行い「神威の高貴なること他に異にして、親しく横難中夭の危を救い給う、諸願満足すること幾千万と云う数を知らず」と記されてあり往時より御神威の赫々たる事が伺い知られます。
後小松天皇嘉慶年間(一三八七年)此の地方にも兵乱起り疫病頻りに流行したので人々殺生五辛を禁断し僧不閑沙門当社に祈願して災厄を静め難を遁れたとされています。
次いで後花園天皇寛正四年(一四六三年)再び悪疫流行のあった時、嘉慶の例にならい悪事災難を除く為に美花を作りて祭祀を修し、鎮花の災祭を行ったとあり、現今の夏祭として今に伝えています。
天文十三年(一五四四年)に林海の記した当社の由来記、又寶暦十三年(一七六三年)圓龍の写書等によりますと、天文十三年七月九日前代未聞の大洪水があり大門鳥居流失し社殿失損寳殿流損したので地方に寄進を仰いで辛うじて其の社域を再興した。この時まで王城守護として北東向きであった神殿を南向に、寶殿を改造し営構したが昔日の結構には遥か及ばなかったという記録がみえます。
昭和九年九月二十一日の室戸台風で社域の惨状恐懼の至りと成ったので氏子崇敬者の寄進を仰いで境内地を拡張し現今の社殿に造営営繕が進められ昭和十六年十月総工事竣成し遷座奉祝祭が盛大に執り行われました。
昭和二十三年六月当社奉賛会結成発足、爾来、逐年境内整備・社務所新築・社殿屋根造替・石玉垣・社號標建立・手水舎造替・大石磨鳥居建替・狛犬燈籠奉献等諸施設竣成し、遠近の参詣者は日増しに多く、諸願満足・悪疫防除・災厄解除・開運繁栄・福徳守護の御神徳益々輝いています。





社頭
明神鳥居 社号標
参道の様子
境内入口
境内入口左右にいる建立年代不明、丸尾タイプの狛犬
阿の剥落が酷く、吽の背には子狛が乗っています。
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参道・境内の様子
境内中央辺りにいる文化2年生まれの狛犬
この石造狛犬は「社宝」として案内板に記載されている狛犬ですが、やはり阿の剥落が酷く、補修の跡が見られます。まん丸目玉のちょっとやんちゃそうな狛犬です。
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(文化2年(1805)乙丑正月吉日建立)
拝殿
拝殿内の様子
本殿 側面と正面

境内社:塞神社
塞神社を護る昭和29年生まれの狛犬
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(昭和29年(1954)12月4日建立)
境内社:稲荷神社
稲荷神社を護る建立年代不明の狛犬
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恵比須神像 磐座
ご神木
ご神木
絵馬