芝籬(しばがき)神社
松原市上田7-12-22(平成24年1月8日)
東経135度33分44.93秒、北緯34度34分7.77秒に鎮座。
この神社は河内松原駅の南南東約500mに鎮座しています。
入口には神門が建立され、その左側に「反正天皇柴籬宮址」碑が立っています。神門を入ってすぐ左脇に境内社が祀られ、参道途中に鳥居、右手には大塚山古墳にあった天満宮より移築された手水舎が配されています。参道を進むと右手には、「日本で唯一 歯 磨き面」と書かれた大きな面があり、 記紀に歯が瑞々しく立派であると記されている反正天皇(端歯別命)に因んで歯神社・住吉神社が祀られ、茅の輪のある参道奥に注連柱があり、石段を上がると上の境内。左右に狛犬が二対居り、向拝のない横広の拝殿と奥の塀内に流造の本殿が建立されています。また、上の境内手前下に稲荷神社・勝手神社、本殿左右に式内・田坐神社と天神社が祀られています。
明るく綺麗で清々しい社地に、適度に木々が茂り、地域に方々から深い崇敬を受けていると感じられる、素敵な神社でした。
御祭神:第18代反正天皇(多遅比端歯別命)、相殿:菅原道真、依羅宿禰
祭礼日:1月1日・元旦祭、1月15日・大とんど祭、2月3日・節分祭、2月下旬・稲荷社祭、7月19.20日・夏祭、8月8日・歯神社祭、10月9.10日・秋祭、11月15日・七五三祭、12月31日・除夜祭
境内社:田坐神社、天神社、稲荷神社・勝手神社、歯神社・住吉神社、大歳神社?
由緒:芝籬神社は仁賢天皇の勅命により創建され、第18代代反正天皇( 瑞歯別命)・菅原道真・依羅宿禰を祭神として祀られている。
またこの付近は反正天皇の皇居、丹比柴籬宮址と考えられており、記紀(古事記・日本書紀)によるとその時代は天下泰平、五穀豊穣の平和な時代であったと記されている。
平安時代に清和天皇より幣帛を賜わり、南北朝時代の足利直義、戦国時代の河内国守畠山氏も厚く保護したと記録されている。
明治5年(1872)神仏分離により、境内の神宮寺広場山観念寺は廃寺となり、本尊は上田の観音堂に釣鐘は願正寺へ、また明治40年(1907)に大塚山古墳にあった天満宮(大塚社)を合祀し、同時に手水鉢も当社へ移された。
「芝籬神社公式サイト」はこちら
社頭 |
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神門 |
「反正天皇柴籬宮址」碑 |
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参道途中に立つ明神鳥居 |
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大塚山古墳にあった天満宮より移築された手水舎 |
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茅の輪のある参道の様子 |
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境内入口に立つ注連柱 |
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神門を入ってすぐ左脇に祀られる境内社:大歳神社? |
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彫りが深く若々しい感じの狛犬 |
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境内社: 歯神社・住吉神社
記紀に歯が瑞々しく立派であると記されている反正天皇(端歯別命)らしく、境内社に「歯神」が祀られています。また、参拝時には暗くて分からなかったのですが、社殿内にも狛犬がいたようです。 |
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日本で唯一 歯 磨き面 |
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右脇殿:田坐神社 |
左脇殿:天神社 |
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井原西鶴 句碑 |
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大絵馬 |
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