布忍(ぬのせ)神社

松原市北新町2-4-11(平成24年1月7日)

東経135度32分21秒、北緯34度34分32.94秒に鎮座。

 この神社は西除川左岸に鎮座しています。
 この社も「開運松原六社(阿保神社・阿麻美許曽神社・我堂八幡宮・柴籬神社 ・布忍神社・屯倉神社)」の一社で、団体の六社巡りの方々に行き会わせ、表の道路から境内までとても混雑していました。
 参道の入口は神社から西約150mにあり、一の明神鳥居が立っています。神社の入口には社号標が立ち、境内入口には神門が建立されています。
 境内の参道途中には二の鳥居と注連柱が立ち、唐破風付き入母屋造りの大きな拝殿前には文化5年生まれの浪速狛犬が居ます。流造の本殿前にも文化財に指定されている寄木造の狛犬が居るようなのですが、お正月なのでお供え物の陰に隠れて見えませんでした。
 本殿右や境内には末廣稲荷神社、水分神社等の境内社が点在しています。
 見事な枝振りの御神木や良く整備された境内・社殿など、日常の落ち着いた雰囲気の中で参拝できたら素晴らしいだろうと思わせられた神社でした。

 御祭神:速須佐男之尊、八重事代主之尊、建甕槌雄之尊
 祭礼日:歳旦祭・1月1日、節分祭・2月3日、万灯ろう ・2月3 4日 、稲荷祭り・3月旧の2の午、夏越し祓い・6月30日、万灯ろう・6月30日 7月1日、夏祭り・7月12 13日、観月祭・9月12日、戦没者慰霊祭・9月23日 、秋祭り・10月114 15日、七五三詣り・11月中
 境内社:末廣稲荷神社、水分神社、春日神社、白姫神社、白蛇神社、護国神社
 由緒:布忍神社は、古来より布にまつわる言い伝えがあり病気平癒・毒虫の退治の神と称えられ近世では病気平癒と共に厄除け・交通安全・商売繁盛の神と崇められ、常に諸願成就すると近隣の人々から崇敬されております。
(「布忍神社公式サイト」より)

 布忍神社には、速須佐男之尊、八重事代主之尊、武甕槌雄之尊の三神が祭られている。
 伝えによると18町(約2km)北方の天見丘から祭神をこの地に白布を敷いて迎えたのでこの地を布忍、村里を向井と呼ぶようになったと言われている。
 昭和五十八年(1983)、本殿修理時に両側面より江戸時代初期の狩野派絵師による唐獅子の壁画、脇障子から舞人の下絵、本殿下からは小絵馬と寛文三年(1663)の奉納札が見つかり、また扁額も江戸時代初期の黄檗宗総本山宇治万福寺第五世高泉性とん禅師(1633〜1695)の書であることが明らかになり、本殿の建立年代が推察される。
 一方、宝永二年(1705)に奉納された布忍八景絵馬は、当地の文化水準を示すものとして貴重である。
 また「日本書紀」景行天皇五十一年八月一日に「布忍入姫命」「新撰姓氏録」河内国皇別には「布忍首」の記載があり、当社との関連について今後の研究が期待される。
(境内案内より)





神社の西約150mに立つ一の明神鳥居 鳥居に掛かる額「布忍宮」
生活道路と共用の参道
社頭
神門 社号標
境内の様子
境内の参道途中に立つ二の明神鳥居
境内に立つ注連柱
拝殿前、文化5年生まれの狛犬
阿は伏せ耳、吽は立ち耳で小さな角を突けています。とても姿勢の良い浪速狛犬ですが、眼が細くつり上がり、口が大きく割れているからでしょうか?やや悪魔顔に見えます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文化5年(1808)戊辰建立)
唐破風付き入母屋造りの大きな拝殿
拝殿内の様子
府指定文化財・流造の本殿

境内社:末廣稲荷神社
境内社:水分神社・春日神社入口
水分神社社殿 春日神社社殿
境内社:白姫神社
境内社:白蛇神社
境内社:護国神社
干支の大絵馬
干支の飾り物
日露戦役記念碑
御神木・大楠