我堂八幡宮
松原市天美我堂4-11-20(平成24年1月7日)
東経135度31分44.99秒、北緯34度34分46.37秒に鎮座。
この神社は187号線に面して鎮座しています。「開運松原六社(阿保神社・阿麻美許曽神社・我堂八幡宮・柴籬神社
・布忍神社・屯倉神社)」の一社で、団体の六社巡りの方々に行き会わせ、表の道路から境内までとても混雑しており、何か気ぜわしく慌ただしい参拝となりました。
入口には朱の鳥居と「開運 厄除宮」の石標が立ち、参道途中に社号標と注連柱が立っています。境内入口には鳥居型の提灯掛けがあり、右には「百度石」、ここから参道は90度左に曲がり浪速狛犬が護る拝殿、塀内に本殿が建立されています。又、社殿右や境内奥には白髭神社等の境内社が祀られています。
この社で目を惹かれたのは幹に大きな瘤がある大楠で、その生命力の強さにあやかって白髭大神がお祭りされていました。
御祭神:誉田別命
祭礼日:例祭・10月15日、夏祭・7月15日
境内社:金刀比羅宮、天雨神社、末廣稲荷神社、白髭神社他1社
由緒:御祭神は誉田別命で、延宝8年(1680)京都山城国・石清水八幡宮より御分霊され、創建されました。
(「境内案内」より)
江戸時代の延宝8年(1680)の「我堂村検地絵図」では社名がなく、鳥居マークだけですが、延享元年(1744)の「両我堂村明細帳」には「十五社明神」、享和2年(1802)の「東我堂村明細書上帳」にも「氏神十五社神」と記されています。
明治初年に八幡神社と称した後、大正2年(1913)に産土神社と改めましたが、いまでは我堂八幡宮の名で信仰されています。
堺市の百舌鳥八幡宮の分霊を勧請したもので、品陀別命が祭神です。境内には、江戸時代から昭和初期にかけて若者が力競べをした力石・八幡石・明治石・龍王石・金剛石が残っており、貴重な民俗資料といえるでしょう。
江戸時代まで、境内には黄蘗宗の神宮寺があり、社僧が奉仕していました。現在の八幡宮は昭和53年の再建ですが、それまで旧社務所には神宮寺の仏間が残されていました。神仏習合の信仰が息づいていたのです。神宮寺は、明治初年の廃仏毀釈で廃寺となり、その仏像や什物は他所に移されました。このうち、本尊であった阿弥陀如来座像は近くの天美我堂7丁目の善正寺に納められました。
(「松原市サイト・ 我堂八幡宮と神宮寺の本尊」参照)
社頭 |
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入口に立つ朱の鳥居 |
鳥居に掛かる額 |
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参道途中に立つ注連柱 |
社号標 |
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参道の様子 |
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境内入口 |
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境内社:金刀比羅宮 |
境内社:天雨神社 |
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境内社:末廣稲荷神社 |
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境内社:白髭神社 |
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境内社 |
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力石 |
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御神木・大楠 |
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御神木・大楠
この楠の樹齢は遥に200年は越えており、楠の癌瘤凹部に長い年月をかけて雨水や枯葉が溜り腐って土壊化されて、その中にメギ科南天が育っています。この樹木の生命力の強さにあやかって白髭大神をお祀りしたそうです。 |
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