岸和田市別所町1(平成18年1月3日)
この神社は南海本線・岸和田駅の北東250mに鎮座しています。
岸和田天神宮HPによると、主祭神は素盞嗚命、菅原道真公です。相殿には、熊野櫛御毛奴大神、市杵島姫命、品陀別命、勝尾明神、経津主神、武甕槌神、天津児屋根命、比売命、表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長足姫命がお祀りされています
創建は伝承によると、後村上天皇の正平17年(1362)の頃、泉州沼村(現在の沼、筋海、並松)の村長に沼間将監という親孝行の人がいて、父親が長らく病床に就き八方手をつくしたけれど甲斐が無く、かねてから信仰していた山城の国八坂神社で祈願すること三日、
ついに霊感を得て帰郷すると父の病は全快し、普段の元気な姿に戻っていました。沼氏はたいへん喜んで邸内の清域(現在地)に社殿を造営して八坂神社(祭神、速須佐之男命)の御分霊を勧請したのが始まりといいます。
以後、沼氏代々の鎮守として、また村内に干ばつや病疫など事ある毎に祈願を行い、後、天照大神、八幡大神を別社に祀り、沼の天神さんとして親しまれてきました。
その後、明徳年間(1390)から天正年間(1573)に至るまで再三兵火にあい荒廃しましたが、文禄3年(1594)に社殿を復興しました。慶長年間(1596)になり、小出播磨守が岸和田領主になった時、別社を岸和田城内に移しその守護神とし、天和3年(1683)天神宮と称しました。享保年間(1716)には村民が私祭していた菅原道真公も合祀しました。
明治4年、神社調査の際、社名が天神宮であることから主祭神を菅原道真公と誤認して菅原神社と届出し、明治40年から42年にかけて、近隣八社を合祀し、氏子町内も拡大しました。昭和57年に社殿を造営し名称を旧に復し、岸和田天神宮(通称沼天神)と改称しました。
この神社は、9月15日に行われるだんじり祭りの舞台として、その名を日本中に知られている有名神社です。岸和田地区では、岸城神社とここ沼天神に分かれて宮入が行われ、その日は普段静かな境内も、勇壮なだんじりを見ようとする大勢の人で大変な賑わいとなる様子が、毎年テレビでも紹介されています。
私も「天神宮」というと菅原道真公の事と思っていましたが、こちらの「天神」とは「牛頭天皇」の事だったのですね。でもいくら旧記が焼失したとはいえ、御祭神を誤認するとはどのような経緯だったのか、興味が湧きますね〜。