岸城神社

岸和田市岸城町11(平成18年1月3日)

 この神社は現在千亀利公園となっている岸和田城跡の東に鎮座する城の鎮守神でした。

 由緒によると、正平年間京都八坂神社より素盞嗚命を勧請し、牛頭天王と呼び 岸和田村の産土神として祀られたのが始まりで、以来氏子は宮座を組んで永年厚く祭祀を行ってきました。慶長年間、小出秀政公が岸和田城を築城し、八幡神を合祀して城の鎮守神、当地方の総司と定められてからは「牛頭天王社、八幡大菩薩社」又「ちぎりのお宮」とよばれ、代々の城主・住民に崇拝され、明治時代に社名を岸城神社と改めました。
 主祭神は素盞嗚命・品陀別命(応神天皇)、 末社は神明社(天照皇大神)、春日社(建御雷命外四柱)、菅原社(菅原道真公)、愛宕社(迦具土神)、琴平社(大物主神外四柱、天神地祇)、住吉社(三筒之男命、息長帯姫命)、日吉社(大山咋神)、稲荷社(稲倉魂神)、厳島社(市寸島姫命)、戎神社(蛭子大神・八重事代主神) です。
 ちぎり(千喜利)の神とは、元亀年間時の岸和田城主松浦肥前守が古城より現地に新しく築城の時、どこからともなくたくさんの亀が現れたので、これは岸和田城万代の安泰と繁栄をあらわす吉兆であると蟄亀利(後に千亀利)城と命名されました。この由縁に基づき城の鎮守社であるこの神社を代々の城主を始め世の人々はちぎりの神と称え信仰されるようになったのです。 (泉州文化より)

 また、元禄16(1703)年に始まったと伝えられる岸城神社の大祭・「岸和田だんじり祭」は、当初は、「にわか」や狂言などの芸事を演じていましたが、明治以降、現在の様に盛大に行われるようになり、毎年祝祭日に関係なく9月14〜15日に行っています。9月15日の岸城神社宮入りのコナカラ坂での地車やりまわしは圧巻ですが、岸和田の70数台の地車のうちコナカラ坂を上がれるのは、岸城神社の氏子14台の地車のみだそうです。(岸城町HPより)

神社入り口 境内入口
拝殿 本殿
文政2年(1819)生まれの浪花狛犬。横から見ると鼻の高い狛犬です。
(文政2年(1819)8月建立)
 明治40年作の備前狛犬。
浪花が圧倒的に多いこの地域でも、
偶には変わり種の狛犬を奉納することもあるのですね。
吽には角が付いています。
(俑土師・木村友教作之  石工・捨松   明治40年(1907)4月吉日建立)
拝殿前に珍しくこの狛犬の由来が書いてありました。
それによると、岸和田城主の岡部家に相続者が無く、
このままではお家断絶と、この神社に参籠して一心に祈ったところ、
めでたく懐妊、出産し、お家は安泰となりました。
そのお礼に奉納したのがこの木彫狛犬で、
安産、子孫繁栄の神徳あらたかな狛犬さんだそうです。
阿のガラスケースの前に垂れ幕が架かり殆ど撮影不能の状態で、
風が強く吹き、幕がはためいた時にやっとこれだけ撮せました。
ご了承を…。


境内社・神明社前の惚けた浪花狛犬。
建立年代は分かりませんが、
奉納者や石工さんが名のみですので、
江戸時代のものと思われます。
境内社・春日社
境内社・菅原社