伯太彦神社

柏原市玉手町7-21(平成20年1月3日)

東経135度37分53.17秒、北緯34度33分37.28秒に鎮座。

 この神社は玉手山公園北に鎮座しており、妻神が祀られる伯太媛神社からは玉手山公園を挟んで北北東に位置しています。道路脇には神社の社号標、鳥居が建ち、左側には安福寺の山門があります。道路から境内までは全て石段の参道となっており、疲れたな…と思う頃、境内入口に建つ、割拝殿が見えてきます。割拝殿を潜ると正面に中門と透かし塀が見え、中門内に入ると本殿内には真っ赤な神殿狛犬が二対おりました。境内右側には境内社が二社祀られ、その向こう側には江戸時代まで鎮守社をつとめていた玉手山安福寺がすぐ近くに見えました。静かで落ち着きのある佇まいはのんびりした散策にぴったりの場所です。

 御祭神:伯太彦命、廣國押武金日命、境内社:大物主神(若宮神社)、保食神(稲荷神社)
 境内社:若宮神社、稲荷神社
 例祭日:夏祭・7月17日、秋祭・10月17日
 由緒:天王台と称する丘陵上に鎮座し、創建年代は不詳ですが平安時代末期延喜式内の古社で、古くは躑躅尾社とも牛頭天王とも称されていました。御祭神の伯太彦命は伯孫百尊とも称される田邊史の祖で、その一族が田邊史一族として玉手・円明付近に広く居住していたとの伝承があります。
 白鳳から奈良時代にかけて栄えた藤原氏に仕えた田邊史一族がこの地に勢力を持ち、天王の御幸もあったようです。
 明治4年太政官布告(神仏分離令)により安福寺より独立し、同5年村社に列しました。同42年誉田神社に合祀されましたが、その後自然災害が続いたため、白木村より神殿を求め、当地に祀られました。
 昭和21年社殿を合祀先から当地に復帰し若宮殿として並び再祀されました。

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社号標「式内 伯太彦神社」 神社入口
参道は全てこのように石段の登りです。
割拝殿
中門前の天保15年(1844)生まれの浪速狛犬
太めの体型ですが、頭をぐっと上に伸ばし、睨みをきかせています。
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(天保15年(1844)2月吉日建立)
中門
本殿
本殿内の神殿狛犬
陶器製のように見えますが、全身が朱に塗られ、吽には扁平な頭上に角が付いています。まん丸の目には瞳が彫られ、頬には毛穴の様に小さな穴がいくつも開けられています。足止めの願掛け狛犬のようで、前足には紅白のひもが何本も付けられています。
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本殿内の神殿狛犬
本殿内のガラス張り格子戸の向こうにいるので、ガラスの反射と格子の陰であまりよくは見えませんが、精悍な顔つきで、尾の大きく複雑な狛犬のようです。
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境内社:若宮神社入口
若宮神社社殿
境内社:稲荷神社