古箕輪八幡宮

東大阪市古箕輪1(平成20年1月2日)

東経135度37分17.89秒、北緯34度41分5.6秒に鎮座。

 この神社は北宮小の南西に川を挟んで鎮座しています。

 御祭神:八幡三神(応神天皇、神功皇后、比売神)
 由緒:もと箕輪村に含まれる古箕輪は、新開池の南東に位置し、大和川付替え以前は池の藻草を刈り、魚を採って生活していた漁村でした。新田開発後は農村となりましたが、南方の村々の悪水で例年作付けに水難を受けるため、踏車を使って悪水を排水し、また天水場であるため日照りの時には干害にみまわれたといわれています。
 氏神である八幡宮は、創建は不明ですが、本殿は一間社流造柿葺で江戸時代中期の建築とみられ、また境内の鳥居に寛保元年(1741)の銘があり、拝殿前の燈篭に明和元年(1764)の銘があることから、新田が開発された後に、神社が整備されたことがわかります。拝殿には、幕末から明治初めに奉納された元寇、神功皇后朝鮮出兵図、江戸時代の風俗図、天皇に将軍・御三家等が供をした加茂明神参詣図などの明彩な絵馬が残されています。
 また、正面左にある燈篭は、天保2年(1831)銘の「おかげ燈篭」です。竿に「おかげ」と刻むこの燈篭は、江戸時代に伊勢参宮が流行し、ほぼ60年毎に「おかげ参り」と呼ばれる集団参宮が行われた際に、村人達が神恩を感謝して奉納したものです。東大阪市内には合計18基の「おかげ燈篭」が知られていますが、文政13年/天保2年(1831)のものが13基で最も多く、この頃伊勢参宮が非常に盛んであったことがわかります。(東大阪市の説明板より)
 明治39年この社を含む近郊の、春日神社(横枕)、日吉神社(中野)と本庄・箕輪の八幡神社の五社は、明治政府の神社整理令により、本庄の八幡神社に合祀されて六郷神社となりましたが、昭和20年代に各神社は旧地に復座されました。

神社入口
拝殿前、元治元年(1864)生まれの浪速狛犬
(元治元年(1864)建立)
拝殿
正面と斜め前方から
本殿正面
本殿縁にいる極彩色の神殿狛犬