梶無(かじなし)神社

東大阪市六万寺町3-14-31 (令和2年1月4日)

東経135度38分42.54秒、北緯34度39分00.36秒に鎮座。

この神社は、近鉄奈良線・瓢箪山駅の南南東800m程の辺り、六万寺町の街中に鎮座しております。

御祭神 瓊瓊杵尊・木花開耶姫命

由緒
社伝によると、神武天皇は、ご東征の砌り御船を白肩津から入江深く遡らせて来られ日下坂の戦いに利あらず御船にて廻幸なされようとされたが、風強く浪高くして梶折れ、御船は海上を漂揺する危機に立ち至られた。神武天皇は、祖神のご加護を求め祈願を籠められた為、さしもの強風も鎮まり波も穏かになって、附近の丘に御船をつけ上陸する事が出来た。神武天皇は、祖神のご加護を深く喜ばれて、その上陸した処に祖神の瓊瓊杵尊と木花開耶姫命を祭神として祠を建て、神々に感謝をなされた。この祠が後年梶無神社になったと云われている。
古代においては、日下の入江がずっと南に入り込み、その低湿の地に近い下六万寺町三丁目三番付近から五世紀ごろの祭祀遺物である石製模造品が出土しているが、この辺りが神武天皇上陸の地とも云われている。また、後三条天皇延久4年(1072)9月5日の太政官牒によると、この祭祀遺物が出土した西側から今の近鉄線の南側に至る六町四方の「梶無里」があったことがわかる。この「梶無里」は、梶無神社の所領または神田の所在地であったとも云われ、現存する「小字梶無」は「梶無里」三十六の坪のうち「十七、十八の坪」に亘るあたりである。
梶無神社は、「船山大明神」「桜井の社」とも云われ、梶無神社のご鎮座地周辺は古代の河内國河内郡に設けられた七郷の一つである桜井郷の中心地で、大化改新まで桜井屯倉(日本書紀安閑天皇元年条)が置かれ、応神天皇の妃となった糸媛の兄櫻井田部連男鉏の出身地である。また奈良時代には、平城京から鳴川峠を経て難波京に至る途中の地である桜井に桜井頓宮(天皇の行幸に際して設けられた仮宮・続日本紀天平16年閏正月11日条)が設けられた。
境内由緒書き より。

神社入口

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(文化11年(1814)甲戌3月建立)

本殿

左右の脇社


末社