阪南市石田167 (令和2年1月6日)
東経135度14分51.42秒、北緯34度20分26.37秒に鎮座。
この神社は、南海電鉄南海本線・鳥取ノ荘駅の南東1.3km程の辺り、石田の街外れに鎮座しております。
御祭神 角凝命
由緒
鳥取氏の祖神である角凝命(つのこりのみこと)を桑畑に祭ったことから、「波太」の名がついたものと思われます。正確な創建の年代はわかりませんが、927年完成した「延喜式」という当時の政治に関する規則を記した書物には、鳥取郷の総社として記載がみられることから、その当時には既に創建されていたようです。
桑畑から現在の地に移されたのは、いつ頃なのかはわかっていませんが、貝掛の指出森神社を合祀し神々をひとつの神社に祭ることとしたため、本殿には波太宮(祭神は角凝命)と八幡宮(祭神は応神天皇)が祭られ、末社三神社には天湯河板擧命、神功皇后、武内宿禰が祭られています。
天正5年(1577)には織田信長の紀州雑賀攻めの時、本陣がおかれたという記述が「信長公記」にみられます。・・・・・
境内由緒書き より。
参道入口
入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和61年(1986)1月吉日建立)
参道
参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(宝暦14年(1764)甲申建立)
参道
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(文化3年(1806)丙寅春3月吉日建立)
拝殿内部
本殿
本殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
厳島神社
門神社
舞殿
脇参道入口
入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)