杜本(もりもと)神社

羽曳野市駒ヶ谷64(平成20年1月3日)

東経135度37分42.98秒、北緯34度32分30.26秒に鎮座。

 この神社は近鉄駒ケ谷駅の東約300m、宮山と呼ばれる小高い丘の上に鎮座しており、近くを古道・竹ノ内街道が通っています。明るく開けた入口の階段を上がり鳥居を潜ると、参道は竹藪や杉等の覆い被さる薄暗い坂道となり、登り切った境内には江戸時代高津神社から移築された優雅な社殿が見えます。境内左右にはそれぞれ縁の境内社が祀られ、式内名神大社の社格に恥じない神聖な雰囲気を感じました。

 御祭神:経津主命、経津主姫命(夫婦神)
 例祭日:1月元日・歳旦祭、1月15日・左義長、2月・節分祭、2月第二日曜日・初午稲荷祭、4月8日・春祭、10月7日・宵宮祭、10月8日・秋例大祭、11月・七五三詣り
 境内社:維日谷稚宮(若宮神社)・南木神社・天満宮・天照皇太神社・光国神社、光吉神社
 由緒:創建年代は不詳ですが、社伝によると、崇神天皇の時代、経津主命の14世の孫の伊波別命が、祖神・経津主神の陵墓のある地に住み、経津主神を祀ったのが起源であるともいわれており、平安時代には「矢作忌寸」と称していたといわれています。
 神仏習合時代に神宮寺の金剛輪寺が創建されましたが、天正年間、織田信長の高屋城攻めの際、兵火によって社殿・社宝を失い、天正14年、豊臣秀吉に社領を没収され衰微してしまいました。後、江戸時代の宝暦年間には再建されましたが、明治の神仏分離により金剛輪寺は廃寺となりました。
 明治5年(1872)に村社に列格し、明治41年(1908)に神饌幣帛料供進社となりました。
 式内社(名神大社)・「河内国安宿郡 杜本神社二座」の有力な論社ですが、他には柏原市国分東條町の杜本神社、柏原市国分市場の国分神社の境内社も論社となっています。延喜式で当社の祭礼が「杜本祭」として記載され、内蔵寮の幣使が参向していたそうです。
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社号標
神社入口
入口の一の鳥居 参道の二の鳥居
境内入口
向拝の無い拝殿
拝殿内の様子

本殿
境内社:維日谷稚宮(若宮神社)(反正天皇・伊波別命・遠登売命)
境内社:南木神社 (正一位橘朝臣楠正成公)と大楠公首塚(左側)
奈良時代の貴族「藤原永手公の墳」 長寿の祈願「亀ノ石」
境内社:天満宮 境内社:光国神社
境内社:光吉神社 境内社:天照皇太神宮