伴林氏(ともはやしのうじの)神社

藤井寺市林3-6-30(平成24年1月8日)

東経135度36分50.56秒、北緯34度34分20.88秒に鎮座。

 この神社は土師ノ里駅の北西約600mに鎮座しています。入口中央には「下乗」の石碑が立ち、境内に入ると左に靖国神社から寄贈された手水舎、右に社号標が配され、参道中央に鳥居が建立されています。由緒ある神社らしく左右の翼殿が付属する大きな拝殿前には「右近之橘、左近之桜」が植えられ、拝殿奥の板塀内に立派な本殿が建立されています。又、境内左の板塀に中門が付けられ、広々とした中に若宮~社が祀られています。
 この社は日本で唯一軍事を司どった大伴氏の祖神である道臣命を祀る旧府社という格式ある神社で、「西の靖国神社」と称されていたそうですが、現在も広大な社地が良く管理されている清々しい神社でした。

 御祭神:高御産巣日神、天押日命、道臣命
 祭礼日:10月9日
 境内社:若宮~社
 由緒:高御産巣日神は、神秘な創造発展力を持つ神で、五代後の大伴連の遠祖の天押日命は、天孫降臨に際して邇々芸命(ににぎのみこと)の御前に仕え、先導守護された神であり、三代後の道臣命も、神武天皇がこの辺りで天神地祗をお祀りし御東征されるに当って、大軍を指揮して時には斎主となって、難路を切り開き、橿原の地で御即位されるまで、大功のあった神である。
 その子孫が、永くこの地に住み、大和朝廷の名門としてのご先祖をお祀りしたのが、この神社の始まりである。貞観九年(867)には官社に列せられ、延喜七年(907)には、延喜式神名帳にも記録された。
 戦国時代に信長の兵火に遭い焼失。神社の維持管理をしてきた伴氏も絶えた。その後地元民らが、産土神として小さな社殿を再建して明治の初め村社となったが、昭和七年道臣命を祀る全国唯一の神社として注目を浴び、昭和十五年には西の靖国神社として称えられ、手水舎の移築が行われて整備充実し、府社に昇格された。
 第二次世界大戦後は、伊勢神宮を本宗とする神社本庁包括の宗教法人となったが、再び衰微荒廃に陥ったものの、氏子の懸命の奉仕と努力によって、境内の整備とともに充実した維持管理が行われている。
大伴氏略系
高御産巣日神−−−天押日神−道臣神−武持−金村−長徳・吹負−旅人−家持−国道−善男

社頭
入口に立つ明神鳥居 社号標
昭和15年(1940年)に靖国神社から寄贈された手水舎
境内の様子
右近之橘、左近之桜
千鳥破風付き入母屋造りの大きな拝殿
拝殿内の様子
左右の翼殿
本殿
本殿正面
本殿縁にいるブロンズ神殿狛犬

中門と板塀
板塀内に鎮座する境内社:若宮~社全景
若宮~社を護る浪速狛犬
吽には角があり、滑らかな体表の堂々とした狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
境内社:若宮~社社殿