国府(こう)八幡神社

藤井寺市国府1-4-56(平成24年1月8日)

東経135度37分16.8秒、北緯34度34分11.03秒に鎮座。

 この神社は道明寺駅の北西約500mに鎮座しています。境内左には宮の南塚古墳が有り、この地が古から聖地とされてきた事が分かります。
 神社の入口には社号標と鳥居が立ち、石段を数段上がると金属製の鳥居のような物が立ち、境内を突き抜けるように西に向かう参道正面に、向拝のない入母屋造りの割拝殿と白塀。塀内に八幡大神を祀っていると思われる三社殿と、その向かって右側に、古い狛犬が護る左脇殿が祀られています。
 境内は綺麗で良く整備され、気持ちの良い参拝が出来る神社でした。

 御祭神:八幡大神(応神天皇)、春日大神・住吉大神
 祭礼日:10月9日
 由緒:正式には「國府八幡神社」と書きます。
 伝承によれば、近世の初期に壺井八幡宮(羽曳野市)の分霊を勧請して始まったとされています。
 藤井寺市内には、江戸時代初期の頃に誕生した八幡神社が五社ありますが、国府八幡神社以外の八幡神社は、誉田八幡宮(羽曳野市)の分霊を勧請したものとされています。沢田八幡神社、古室八幡神社、土師里八幡神社、津堂八幡神社の四社です。
 国府八幡神社の祭神は、他の八幡神社と同じ八幡大神(応神天皇)が主神で、春日大神・住吉大神があります。
 北側に隣接する潮音寺は、明治初年の神仏分離までは、当神社と一体の神宮寺であったと思われます。
 1907年(明治40年)12月23日に、他の数社とともに北隣りの北條村にある式内社の黒田神社に合祀(ごうし)されました。この合祀は、前年の明治39年に出された勅令によって進められた神社合祀政策の一環でした。
 明治末期の神社合祀政策は、地方自治政策の中に神社中心体制を盛り込むために神社の数を減らし、神社への公費の支出をしやすくするというものでした。
 こうして一度は消えた国府八幡神社でしたが、戦後の1946年(昭和21年)6月2日に黒田神社から元通りに複社し、現在に至っています。現在は国府地区の氏神として、毎年10月9日に例祭がおこなわれています
が、もとは旧志紀郡国府村に属す元村社でした。
 本殿は江戸中期の建造とされています。拝殿には万延元年(1860年)の棟札がありましたが、最近修復されて新しい拝殿となっています。鳥居も江戸中期の享保5年のものでしたが、1979年(昭和54年)に解体保存となり、新しい今の鳥居が建てられました。境内には、江戸期の石燈籠がいくつかあります。
(サイト「藤井寺市立道明寺東小学校校区と周辺のご案内」より転載)

社頭
入口二立つ明神鳥居 社号標
参道の様子
境内の様子
拝殿前にいる建立年代不明の浪速狛犬
吽には角があり、楽しそうに語らっている狛犬達です。
狛犬の拡大写真はこちらで
向拝のない入母屋造りの割拝殿
割拝殿入口から見える境内と三社殿
向かって左の社殿 中央の社殿
向かって右の社殿 素朴な狛犬が護る脇殿
脇殿を護る素朴な狛犬