山王宮大神社

大東市新田東本町(平成20年1月2日)

東経135度36分31.42秒、北緯34度42分11.92秒に鎮座。

この神社は、諸福小学校の北西150m程の辺り、南向きに鎮座しております。冬のせいもあるでしょうか、葉の落ちた御神木が晴れた空に向かって立っているのみで、開けた明るい神社です。

由緒
御祭神:大山咋神
祭礼:十月二十日
新田という呼称は、当地の既存の集落に対し、新しく開拓された土地であるところから付けられたものである。しかし、豊臣秀吉の太閤検地を受けており、その時点での新田村であり、その開拓の起源は戦国期に遡るといえよう。伝承によれば、当地の開拓を手がけたのは、近江(滋賀県)から移って来た人達であった。そこで、氏神も故郷の神である山王宮(日吉神社)をこの地に勧請した、という。
 改築前の社殿には享保二年(1717)の棟札があり、その時に新築されて二七〇年間、この間には氏子による改築が加えられていた。しかし、風雪に耐えた社殿も損みがひどくなり、昭和五十九年に浄財を募り、同年四月着工、十月吉日の新築となった。
 享保七年(1722)の新田村明細帳には、氏神山王宮権現・境内七歩と記されている。さらに文政八年(1825)に本殿覆屋、天保五年(1834)には、拝殿及び本殿へのつなぎ廊下が建てられ、江戸期を通じて徐々に社容整備が進められて来た。
 また、当時、村の行政区域は東西に分けられており、祭礼日には東西それぞれから二台のダンジリが引き廻され、宵宮には、にわか(芝居)なども行われていたことが記録されている。
 従って、山王宮は新田村の成立・発展と共に歩んできた当地の証人である。なお、境内にある大神社及び社務所は昭和四十八年に、福島社・太嶋社(稲荷社)は昭和五十二年に老朽によりそれぞれ新築再建された。
昭和五十九年十月吉日建立 氏子中一同

社号標と神社入口。

拝殿。

元気な浪花狛犬。

(昭和59年(1984)10月吉日建立)

拝殿内部。

拝殿内にお住いの神殿狛犬。

境内の末社。