三島神社

臼杵市井村1728 (平成26年3月30日)

東経131度47分20.71秒、北緯33度08分06.82秒に鎮座。

この神社は、JR日豊本線・熊崎駅の北400m程の辺り、日豊本線の踏切脇が境内入口となる、線路脇に鎮座しております。

御祭神 大山祇神・菅原神・大年神・豊受神・品陀和気命・高龗神

三島神社は、大分県臼杵市大字井村に鎮座する神社である。大友氏時代の臼杵五社の一。武人たちの篤い尊崇を得た伊予国大山祇神社(愛媛県)の分霊を祀った神社ということもあり、戦国大名大友宗麟が丹生島城(臼杵城)に入城して以来、大友氏、太田一吉、稲葉氏などの歴代領主らの崇敬を集めた。

由緒
徳治2年(1307年)、弘安の役で武勲を立てた伊予国の豪族越智氏の流れを汲む河野六郎通有の嫡男、河野通忠(柚木谷八郎通忠)が、西海の海賊退治のため、大山祇神社の分霊を奉じて渡海し、臼杵市芝尾に着いたとされる。着岸後、通忠は、芝尾地区にある椎の木(通称「山の神様」)の下に仮殿を造り、その分霊を祭祀した。これが、当神社の旧宮である。延慶元年(1309年)、神宣があって、三ツ梅が実ったという現在の地に遷った。
慶長元年(1596年)から卯の市が始まり、明和9年(1772年)には疫病除のため獅子舞が始まった。文政10年(1827年)、臼杵藩第11代藩主稲葉雍通が老臣岡部隼人治方を遣わせて代拝、幣帛を奉献し、安政6年(1859年)には臼杵藩第14代藩主稲葉観通が参拝している。
明治9年(1876年)に臼杵市大字井村に鎮座する4社を合祀して「井村神社」と改称し、同18年(1885年)4月にも同市大字大野村に鎮座する1社を合祀、同年9月には藤河内神社を合祀した。昭和4年(1929年)3月に拝殿を改築し、同28年(1953年)10月8日、「三島神社」と社名を改称。
ウィキペディア より

境内由緒書きはこちら。

一の鳥居

神額

踏切

神社入口

二の鳥居

拝殿

本殿

本殿脇の狛犬。いかにも窮屈そうです
(昭和4年(1929)3月建立)
本殿縁側の木造神殿狛犬

末社

忠魂碑