福良天満宮

臼杵市福良211 (平成26年3月30日)

東経131度47分49.59秒、北緯33度06分44.05秒に鎮座。

この神社は、JR日豊本線・上臼杵駅の北1km程の辺り、臼杵川河口の中洲に鎮座しております。

御祭神 菅原道真公

由緒沿革
御祭神菅原道真公は延喜3年(903)太宰府にて御神退され、亡骸を牛に運ばせ不動の地太宰府天満宮にお祀りされました。その後菅原氏族が周防大畠を領し菅原姓を大畠姓に改め、代々守護していた天神像を天正年間(1573〜1591)豊臣氏討伐の際、豊後國海部郡福良荘(宮畠)に勧請し社殿を建て手厚くお祀りされました。
慶長初期(1602頃)、高僧円誉上人が平清水に龍原寺・福良村小野路に称名寺を開山しますが、菅原姓大畠氏の次男である第三世善知の時、称名寺に神殿を建て菅原神を祀りました。慶長13年(1608)臼杵稲葉藩主二代目典通公が鷹狩に出かけた際、鷹の行方が不明となり称名寺内の菅原神に願を掛けました。忽ち少し離れた福良の松に飛び帰り典通公は宮地を今の社地に移し「呼鷹殿」と称す神殿を建て、菅原姓善知が住職として天神様に仕えました。善知は天満寺の開基とされています。
第七世菅原姓智岸は菅原姓、藩の騎士柴崎甚三郎宗利の三男であり、改宗をはかり真言宗に改めます。仁和寺より寺号を賜り菅生院と号し、のち菅勝院天満寺・梅林山天満寺、天台宗となり瑞光院天満寺と称しました。同時に稲葉一鉄公以来歴代稲葉藩は菅原道真公を尊崇していたこともあり篤い崇敬を受け、その証として歴代稲葉藩主の奉納した額や宝物が残ります。
明治元年(1868)、神仏分離令により神社として祀られ天満神社となりました。住職は三重町内山に退き、神職として高見家・鶴峰家・菊川家・雄嶋家と代々受け継がれています。昭和になり福良天満宮と社名を改め現在に至りました。
現在の本殿は明治28年(1895)に建立されました。平成7年(1995)社殿大改修・境内整備事業を行い、平成14年(2002)菅公1100年大祭にあたり、神楽殿・社務所などの改修改築事業を行いました。
境内由緒書き より

参道入口

一の鳥居

石段

石垣

二の鳥居

参道

三の鳥居

拝殿

本殿

本殿前の浪花狛犬。拡大写真はこちら。
(天保年間(1830〜1843)建立)

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