大尾(おお)神社

宇佐市南宇佐(平成20年7月23日)

東経131度22分51.21秒、北緯33度31分20.24秒に鎮座。

 この神社は宇佐神宮の摂社で、和気清麿公が御神教を受けた旧蹟・大尾山の山腹に鎮座しています。
 宇佐神宮からは頓宮から東に参道が続いていますが、間に一般道が通っていて境内と言うよりは境外というに相応しく、改めて宇佐神宮の広大さを実感できる場所に鎮座しています。
 狛犬の居る入口からは護王神社との共通の石段が参道となっており、自然石の大きな灯籠や鳥居などが建っていますが、この旧跡を訪れる人は稀の様で石段や社地には雑草が茂っていました。石段の参道が終わった辺りから左に曲がり、道なりに右カーブを曲がると鳥居の建つ大尾神社入口となります。
 草の中を少し歩くと神門と透かし塀が見え、塀内に拝殿・本殿が建立されています。

 御祭神:八幡大神
 祭典日:4月4日
 由緒: 孝謙天皇の御代の天平勝宝元年(749)八幡大神は比売大神とともに奈良に行幸、そして厭魅事件により伊予の宇和に天平勝宝7年(755)遷り、10年後奈多宮を経由して宇佐に御帰還になりましたが、宇佐三山の一つ大尾山の頂上に御鎮座するとの託宣があったので、天平神護元年(765)に造営使を遣わして御造営になり、ここに約15年御鎮座されました。
 この間の神護景雲3年(769)夏の7月11日、和気清麿公は、弓削道鏡の事件に際して、御神教を賜るために勅使として参向、大尾山頂の社頭に参拝されて、国体擁護の御神教を授かった霊地です。
 延暦元年(782)小椋山の本宮に還御になったのですが、国家鎮護の遺蹟を保存するためにこの時大尾神社が創祀されました。
 昭和御造営に際し新に復興して還御申し上げました。
(宇佐神宮公式HPより)

宇佐神宮・頓宮からの大尾神社・護王神社への参道の様子
大尾神社・護王神社共通の参道入口
自然石の大きな灯籠がこの社の大切さを物語っているように思いました。
大尾神社・護王神社共通の参道入口に居る文久4年生まれの狛犬
垂れ耳で目元パッチリの若々しい狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文久4年(1864)建立)
参道石段途中に建つ一の鳥居 参道途中自動車道脇に建つ大きな灯籠
護王神社・大尾神社共通の参道 大尾神社入口の二の鳥居
宇佐神宮摂社・大尾神社の神門透かし塀
大尾神社拝殿 大尾神社本殿
境内の様子