郡瀬(ごうせ)神社
宇佐市樋田瀬社187-1(平成20年7月23日)
東経131度20分53.46秒、北緯33度31分16.42秒に鎮座。
この神社は駅館川にかかる瀬社橋の西詰めに鎮座しています。鳥居の額には「八幡神社」とあり、災害復旧竣工記念碑や拝殿内案内には「郡瀬神社」と書かれています。「郡瀬神社災害復旧竣工記念碑」によると、平成3年9月27日の台風19号により多大な被害を受けたようで、平成19年1月にやっと全ての復旧が終わったようです。神社関係者、氏子さん達のご苦労の程が覗えます。
御祭神:応神天皇(八幡大神)、仲哀天皇、神功皇后
由緒:当郡瀬神社は全国八幡宮の総本社である宇佐神宮の御分霊を奉斎した八幡神社であります。
抑八幡大神と申し奉るは人皇十五代応神天皇の神霊に坐せり。欽明天皇の御宇廿九年豊前国宇佐郡宇佐の亀山(一名小椋山)の麓に三歳の小児と顕はれ坐して、吾れは応神天皇の神霊広幡八幡麿なり」と大神比義翁に諭し、人皇四十三代元明天皇和銅三年に同郡鷹居山(現東上田)にて復大神比義翁に対いて「吾れ神と成りて大空を翔れども栖まむ処無し、此を以て御心荒びたり」と諭し給ひしに因り比義翁は朝廷に奏し、勅定を得、神殿を建て斎き奉る。鷹居、瀬社是れなり。(後郡瀬神社と称へ奉る)後人皇四十五代聖武天皇神亀二年(七二五)神勅ありて小椋山即ち亀山に還り鎮まり坐せるなり(現在の宇佐神宮)尚宇佐神宮には行幸会と申す大事な祭儀があり、その行幸会に当社は深い関係のある由緒正しい神社であります。
行幸会と申すは称徳天皇神護元年閏十月十八日の神託によりて四年に一度づつ行われしが嵯峨天皇弘仁八年より六年に一度と改まり、近古戦乱の世久しく中絶せしを元和元年細川忠興候再興せらる。其の大略は、下毛郡大貞なる三角池の薦を苅り、御重を封じ神輿に乗せ奉り、宇佐宮八箇社の内、先づ田笛、次に鷹居、次に瀬社(当社)に御泊り、次に泉社、次に乙唐ノ行幸あり、次に大根川へ、此の社より大神宝を薦社(中津大貞)に奉る。上古は此の社にて勅使参宮あり。同夜復当瀬社に御泊りせり。翌日妻垣社(安心院)に行幸。此の社より大神宝を辛川社(速見郡)に奉る。翌日小山田社に行幸、同社より亀山の本宮へ御還幸あり。旧き御重は下宮に遷座し、下宮の旧き御重は国東郡奈多宮に行幸せるなり。
そもそも八幡信仰は単に応神天皇のご聖徳をたたえるものでなく、海外文化や産業を始めて輸入され新しい国づくりをされた実に英明幸運の方であると共に、神徳も強くあられたので伊勢につぐ御先祖のお社として崇敬された八幡社であり宇佐神宮の摂社としてお祀りされたが明治五年郷社に列せらる。
(拝殿内「郡瀬神社由緒」より)
「郡瀬神社由緒」はこちらで
神社遠景 |
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神社入口 |
郡瀬神社災害復旧竣工記念碑
平成3年9月27日、台風19号は九州北部を直撃し大きな被害をもたらしました。記念碑に「拝殿(中殿 平成19年1月竣工」とあるので、この社はその台風から15年かけて再建が終わったようです。 |
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昭和13年生まれの厳めしい狛犬
「昭和12・13年日支事変祈念」に奉納された物だからでしょうか?独創的な造りで、凛々しくはありますが威圧的な感じがします。
狛犬の拡大写真はこちらで |
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(昭和13年(1938)2月建立) |
未だ木の香が薫るような感じの真新しい拝殿 |
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拝殿内の様子 |
幣拝殿 |
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本殿覆い屋と本殿 |
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末社群 |
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境外に大事そうに置かれた磐座?水鉢? |
鳥居礎石 |
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