宮處野(みやこの)神社

竹田市久住町仏原 (平成28年9月23日)

東経131度20分20.55秒、北緯33度04分15.10秒に鎮座。

この神社は、直入市役所支所の西5km程の辺り、仏原の街外れに鎮座しております。

御祭神 景行天皇・嵯峨天皇・日本武尊・大己貴尊・菅原神・倉稲魂命・仁徳天皇・大歳神・天皇大神・伊那大岐命・速玉男命・猿田彦命・天若霊命

由緒
宮處野神社は、景行天皇がこの地方の土蜘蛛を征伐した際の行宮跡に天皇をお祭りしたことに始まると伝えられている。
その後、平安時代に直入擬大領の女『腎媛』が嵯峨天皇の采女となる。上皇崩御の後、故郷来田見に帰り剃髪し尼となり、恩賜の品を産土の境内に埋めて日夜勤仕する。女の兄はこれを見て哀れみ景行官の傍らに神宮を造営した。これが現在の神社の起源で「嵯峨宮様」と呼ばれ永くこの地方の人々に崇敬され、明治になって宮處野神社と改称された。

宮処野神社の神保会行事 例大祭は「神保会」と呼ばれ、新任国司が有名神社へ神宝を奉った祭儀をさす神宝会に由来すると云われている。
江戸時代の記録によれば、多くの「祭禮市」がたち、多くの参詣者でにぎわっていた様子がうかがえる。現在もその伝統を残して十月の第二土曜日にお祭りが行われている。

宮処野神社の社叢 敷地面頼約11,500uに神社が建立されており、その周辺には推定500年前後の老杉を中心にトチノキ、カヤ、タブノキ、サカキ、モミジなど多くの巨木が生い茂り社殿とよく調和し、参拝者の心を和ませ「洗心のやしろ」として崇められている。
境内由緒書き より。

境内の東南東900m程の辺り、農家の傍らにひっそりと立つ一の鳥居。

神額

参道入口

参道

神門

手水舎

拝殿

拝殿内部

本殿


串神社 末社

末社

景行宮跡

御神木の大杉