瀧三柱(たきみはしら)神社

佐伯市上浦浅海井浦688 (平成26年3月30日)

東経131度55分09.31秒、北緯33度02分29.74秒に鎮座。

この神社は、JR日豊本線・浅海井駅の西北西300m程の辺り、上浦浅海井浦の町並みが途切れる暁嵐川の渓流沿いに鎮座しております。

1. 鎌倉時代の正応年間(1288〜1292)に、熊野権現を勧請せしとつたえられている。祭神は、伊邪那美命・事解男命・速玉男命・菅原二神・事代主命となっている。
1. 元和9年(1623)、佐伯藩初代藩主、毛利高政公は深く尊崇し、御親書の書状を浅海井肝煎仁兵衛におくる。
1. 社前の花崗岩の「石灯籠」は、正徳3年(1713)につくられたもので、願主、恵比須網、新出来網と刻まれている。
1. 社前、参道にある花崗岩の「鳥居」は文化3年(1806)に建立され、石工は尾道(広島県)の住、明石八三郎、当浦宝吉丸積下りと刻まれている。
1. 社前、参道添いにある「手水鉢」は文政6年(1823)に、氏子より寄進されたもので、篆書で書かれているのが特徴である。
1. 景勝「暁嵐の瀧」は、海岸線に最も近いところにあることが特徴である。昔若き広瀬淡窓(1795年14歳)は旧師である、松下筑陰(毛利藩、四教堂の儒官)を慕い、遊学中船でこの地を訪れている。
1. 扶揺公子(佐伯藩第6代毛利高慶公八男)、中島子玉(同藩士、中島幹右衛門の長子、咸宜園江戸昌平校、四教堂)、秋月橘門(日向高鍋、秋月氏の支族、咸宜園、葛飾県知事)等が、彦岳や暁嵐の瀧を題した詩歌を残している。
境内由緒書き より

菅原二神とは、菅原道真命、天滿天神の二柱のようです。

参道入口と一の鳥居。路駐があまりにも多いのですが、理由は後程分かりました。

神額

アコウの樹

参道。地元の方々が花見の宴会!私も仲間になりたい。

二の鳥居

手水舎

御神橋

暁嵐川に架かる御神橋。この上流が暁嵐の滝。

拝殿

拝殿前の古岡崎型狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

本殿

本殿縁側の陶器製狛犬

石祠

暁嵐の滝