柞原(ゆすはら)八幡宮

大分市大字八幡987(平成20年7月26日)

東経131度33分13.92秒、北緯33度13分59.38秒に鎮座。

 この神社は大分市の西、二葉山(八幡柞原山)の麓に鎮座しています。一の大鳥居は696号線に入るとすぐに建っていて、神社はここから約4kmも先に鎮座するという、嘗ての大社地を彷彿とさせる神社です。
 神社入口右側には天を突く様な大杉が聳え、長い参道の途中には日暮し門とも形容される、随所に見事な彫刻が施されている南大門が建ち、その手前には国指定天然記念物の大楠が聳えています。多くの大楠を見てきましたが、この大楠の巨幹はゴツゴツとした沢山の瘤をつけ飛び抜けて大きく、正に巨樹…。堂々と聳えるその姿には畏敬の念が湧き上がり、暫しの間見とれてしまいました。
 南大門を潜ると左には二葉山稲荷神社が祀られ、二手に分かれた参道は、右は楼門へ、左は神門へと続いています。
 神門内を入ると、境内に建つ社殿はとても変わった造りで、南に左右廻廊付きの楼門が建ち、参拝は回廊から履き物を脱いで上がり、拝殿前に正座して行います。ここから申殿、本殿が正面に見えますが、本殿は朱漆を主調に彩色がされ、二棟が連結された典型的な八幡造で建てられています。又、本殿左右には透かし塀内に東西宝殿が建てられ、春宮・若宮など末社が祀られています。

 御祭神:仲哀天皇,応神天皇,神功皇后
 祭礼日:例大祭・3月15日、夏越祭・7月31日、浜之市・9月14〜20日
 境内社:二葉山稲荷神社
 由緒:鎌倉時代に書かれた社伝には、天長4年(827)、延暦寺の僧・金亀(こんき)が宇佐八幡に千日間籠り、「天長7年3月3日に八幡神が豊前国に垂迹する」との神託を得た。天長7年7月7日、大分郡賀来郷に白幡が飛び渡った。金亀はこのことを朝廷に奉上し、承和3年(836)、仁明天皇の命により豊後国司・大江宇久が社殿を造営し、宇佐八幡の別宮の一つとして崇敬を受けた。長徳4年(998)からは宇佐八幡と同様に33年ごとの社殿の造営(式年遷宮)が行われるようになった。
 金亀の法統を継ぐ者は宮師(みやし)と呼ばれ、当社の実質的な支配者であった。国府に近いことから特に国司の崇敬を受け、中世以降は大友氏ほか歴代の領主の崇敬を受けた。戦国時代には領主・大友義鎮(宗麟)がキリスト教を信仰したことから排撃を受けたが、江戸時代には歴代府内藩主の厚い保護を受けた。
 中世以降、豊後国一宮を称するようになり、それ以前から一宮を称していた西寒多神社との間で近世まで論争があった。当社を一宮と称した最初のものは、嘉応3年(1171)3月の『宮師僧定清(じょうせい)解』にある、「右、大菩薩は、是れ日本鎮守、百王守護の神霊なり、(中略)豊州の中心に垂迹して、当国の一の宮となる」というものである。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
 由原宮 、由原八幡宮、 賀来(かく)社 とも称された式外社で、 「ゆすはら、いすわら、いすはら」とも読まれる豊後国一の宮 、旧国幣小社です。
 9月14〜20日に執り行われる浜の市では、三柱の御祭神が御輿に乗り4km離れた仮宮へ神幸します。17日には放生会が行われ、鳩やフナが放たれ生物の霊をなぐさめます。期間中、神楽や花火大会などが催され、大勢の参拝客で賑わいい、「しきし餅」と呼ばれる餅や江戸時代から伝わる「一文人形」と呼ばれる素朴な玩具も販売されます。

国道10号線・かんたん信号から696号線に入るとすぐに建っている柞原八幡宮一の大鳥居
神社はここから約4kmも先の、二葉山(八幡柞原山)の麓に鎮座しています。
神社入口
入口右側には天を突く様な大杉が聳えています。
神社入口
注連柱と石段
入口からの参道は殆どが石段です。
参道途中に建つ
2000年5月に奉納された朱の鳥居
日暮門から入口を振り返る
南大門(日暮し門)手前左に聳える、国指定天然記念物・柞原八幡宮の楠
樹齢:3000年、樹高:30m、幹回り:18.5m、根元回り:37m
1991年の環境庁の調査では、県内では最大の大きさで、楠では全国第7位、全樹種を通じて第8位だそうです。
南大門(日暮し門)
この重厚な門は元和9年(1623)に府内城主・竹中重義が造営したと伝えられます。幕末に老朽化したため改修の寄付を募り、明治3年に落成しました。大勢の人々が見物に押しかけたそうですが、門には随所に見事な彫刻が施され、一日中眺めても飽きないので「日暮し門」と呼ばれているそうです。
南大門に架かる額「由原八幡宮」 南大門内側の彫刻と、上の参道の様子
南大門の木鼻・狛犬と象
南大門裏側、向拝下の彫刻
鳳凰と鳩?
「二葉山稲荷神社」入口
南大門から少し上がった左側に鎮座している二葉山稲荷神社
参道と社殿
やがて参道は少しの間だけ平坦になり、二股に分かれたその先は、右は楼門へ、左は神門へと続いています。 参道脇には古そうな灯籠や玉垣が建ち並び、何やら建物が見えてきました。
鬱蒼とした森が明るく開けると朱の神門が見えてきます。 神門
この社の社殿の造りはとても変わっています。中央の高い建物が左右廻廊付きの楼門で、左側の屋根が拝殿です。参拝は回廊から履き物を脱いで上がり、拝殿前に正座して行います。
拝殿から臨む、申殿本殿正面 大絵馬が奉納されている回廊
申殿
申殿西側には賀来神社の御祭神・武内宿祢大神のご神体が祀られています。
現存の神社では珍しい、二棟が連結された典型的な八幡造りの本殿。安政年間(1854〜1859)に再建されました。
本殿向かって左側・西宝殿入口
西宝殿社殿
本殿向かって右側・東宝殿入口
東宝殿社殿
東側参道
境内側から見た神門
東側参道神門
東側参道神門入口には建立年代不明の備前焼狛犬が居ました。吽には角が付いています。
狛犬の拡大写真はこちらで
末社