大分市三佐769(平成20年7月24日)
東経131度41分16.99秒、北緯33度15分6.29秒に鎮座。
この神社は小中島川に架かる家島橋西詰め近くに鎮座しています。
一の鳥居から境内までがおよそ150mほどあり、往古は大変大きな神社であったことが伺えます。今でも境内は白壁の回廊で囲まれ雅な感じがしますし、拝殿はこの地域独特の千鳥破風の下に龍の鬼瓦付きの唐破風が付けられるという超豪華な屋根となっており、江戸時代の隆盛が感じられます。
又、境内には大阪から三佐へ帰港する岡藩の参勤船団の模様をみごとに描いた船絵馬が掲げられ、樹齢400年余りのそてつやえのきの見事さも相まって、岡藩の船着場として重要な役割を果たしていた三佐の歴史を物語っている様に思われます。
由緒:この社は後柏原天皇の時、漁夫が海中から輝く石を得て祭り、熊野権現として尊んだのが創始といわれています。
毎年4月28・29日に行われる三佐の野坂神社春祭は、藩政時代時の領主・中川公が京都祇園祭を見て感激し、領地三佐で始めたと伝えられています。華麗に彩色された彫刻と、精密に作られた人形が実に素晴らしい山車だそうです。
境内から東におよそ150mほど 離れた道路上に建つ一の鳥居 |
一の鳥居の社額 「八坂山大権現」 |
神社入口 境内は白壁の回廊で囲まれています。 |
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建立年代不明の浪速系狛犬 頭上が扁平で達磨さんの様な親しみのある顔立ちをしています。お数珠を掛けた様な顎髭が面白いですね。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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拝殿はこの地域独特の千鳥破風の下に龍の鬼瓦付きの唐破風が付けられるという超豪華な屋根となっています。宮司さんのお話ではこの様な豪華絢爛たる造りの屋根を持つ社も、年々歳々減ってきているそうで、今では数えるほどになってしまったとか…。 |
千鳥破風の下に龍の鬼瓦付きの唐破風が付けられるという超豪華な屋根 この社では屋根の葺き替えをして未だ間がないとか、大変なご苦労があったようです。 |
豪華な唐破風だけではありません、飛び狛さんも4匹もいました。 | |
拝殿の木鼻 狛犬と象 | |
本殿 |
境内社:天満社 | 境内社:戎社 |
境内社:船玉社 | 境内社:厳島姫社 |
境内社:稲荷社 | 神楽殿 |
この船絵馬は、大阪から三佐へ帰港する岡藩の参勤船団の模様を見事に描いたもので、10代岡藩主・中川久貴が航海安全を祈願して文化13年(1816)野坂神社に寄進したものです。絵馬中央下部には「遠見燈籠」(灯台)の施設が描写されていますが、その跡地は現在も小丘状として大切に保存されています。 「船絵馬」説明板はこちらで |
大分市指定名木・そてつ 岡藩が参勤交代のおり この社に立ち寄っていましたが その頃植えられた木だそうです。 樹齢・400年、樹高・10m、幹周・3m |
大分市指定名木・えのき 岡藩が参勤交代のおり この社に立ち寄っていましたが その頃植えられた木だそうです。 樹齢・400年、樹高・14m、幹周・3m |
境内から見た入口と回廊 | |