敷戸神社
大分市鴛野(平成20年7月25日)
東経131度36分56.95秒、北緯33度10分47.9秒に鎮座。
この神社はJR豊肥本線・敷戸駅の南約500mに鎮座しています。余り広くはない社地ですが、境内社殿共に良く手入れされた神社です。拝殿の左手には横向きに天満宮の大きな社殿が建てられ、その左、境内隅には明治期に村内各所から集められた神社が末社として祀られています。
御祭神:主神・応神天皇、従神・菅原道真公
例祭日:春祭・3月22日、秋祭・10月15日
境内社:天満宮、蚕神社、大将軍、生目様、権現様、歳ノ神様、弁天様、下鴛野天神様
由緒:この社は、板津免大明神として古代地区住民が祭祀しましたが、平安時代清和天皇の御代、貞観11年3月22日豊後大神氏隆盛のころ、八幡神主神、応神天皇来社に天神様、生目様、秋葉様とともに創建され、じらい明治初期までに大将軍、権現様、弁天様、歳の神様下鴛野天神様、庚申様、大正年間に蚕神社が合祀されました。
口碑によると、坂津免大明神と西寒多大神は兄弟で、あるとき鹿と馬に乗りご帰還の折、坂津免大明神の乗られた鹿が当地で足を痛めたので戸板を敷き村人が神楽を奏したので敷戸の地名がつけられました。
この社の鎮座する丘陵地帯は、往古より栄え神域は聖地として、清泰寺、敷戸石仏を前後に配し、裏山に水場があり、石器も出土し、周辺に宮前、城津留、殿屋敷、小園、大園、法明平等、歴史的地名が多く残っています。また、松石、大園、表には大きな石造仏が祀られています。
この社は、豊後国府近くのため戦略的要衝として幾度も戦火に見舞われ、そのつど再建され、室町時代、応永辰の年と江戸文政13年に再建の板札記録と、天満宮は、京都北野天満宮より分霊勧請され、天明6年と明治10年、大修理再建の記録もありますが、その他古文書、宝物等は嘉永2年、保管していた清泰寺とともに焼失してしまいました。
神域には樹齢千年以上の巨木が多くあり、荘厳、雄大を誇っていましたが第二次世界大戦に軍用に徴用され、老松だけがその面影をとどめていましたが近年の虫害で全滅したのが惜しまれます。
永年の風雪により、神殿老朽化のため昭和54年地区の総意の協力により、新築し神域も整備されました。
神社遠景 |
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神社入口の一の台輪鳥居 |
境内入口の二の台輪鳥居 |
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拝殿前、昭和54年生まれの狛犬
京都・籠(この)神社型の狛犬です。吽には角があり、小顔で胸板が厚く上半身がとても逞しく、威風堂々としたポーズですね。
狛犬の拡大写真はこちらで |
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(昭和54年(1979)5月建立) |
拝殿 |
拝殿に架かる社額 |
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本殿 |
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境内社:天満宮 |
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末社:歳ノ神様、弁天様、下鴛野天神様 |
末社:生目様、権現様 |
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末社:蚕神社、大将軍 |
神楽殿 |
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