椎根津彦(しいねつひこ)神社

大分市佐賀関神山(平成20年7月24日)

東経131度52分53.17秒、北緯33度14分38.26秒に鎮座。

 この神社は佐賀関漁港の北、神山公民館近くに鎮座しています。入口は車が入れないほど狭く普通の路地のようで、社号標が建っていなければとてもこの奥に神社があるとは思えません。それでも路地を80m位入ると、石段が有り鳥居が建っているのでやっと神社に来たという実感が湧いてきます。社地の背後は豊かな森で、拝殿はコンクリート製ですが、銅葺三間社流造りの本殿にはあちこちに彫刻が施されています。境内からは佐賀関漁港から豊後水道まで良く見えました。

 御祭神:椎根津彦命、合祀神:武位起命、稲飯命、祥持姫命、稚草根命
 例祭日:1月1日・元旦祭、2月25日・祈年祭、4月24日・宵祭、4月25日・例祭 神幸祭、4月26日・還幸祭、11月25日・新嘗祭
 境内社:稲荷社
 由緒:鎮座の年代は不詳ですが、日本書紀によると、神武天皇は甲寅歳(西暦紀元前667年)御東遷のため日向国を御出発になられ、その年の十月、当地、速吸之門(現在の古宮)にて珍彦命(うづひこのみこと)の奉迎を受けられました。珍彦命は神武天皇より「椎根津彦」と御名を賜わった後、水先案内として付従い、しばしば、勲功をたてました。
 辛酉歳(紀元前660年)正月、庚辰朔、天皇は大和国橿原宮に於いて、第一代の天皇として即位され、皇紀元年となりました。翌年春二月、天皇は論功行賞を行い、椎根津彦命は倭国造に任ぜられたとされています。
 これを伝え聞いた里人らがその後、小祠を建ててお祭りしたのが創祀と伝えられています。現在でも、神社の周辺の地名を神山と呼び、社地は命の住居跡ともいわれています。
 明治6年、県社に列せられ、社名・珍宮を現社名に改称しました。
 詳しくは「椎根津彦神社由緒」をどうぞ

社号標 参道入口
境内入口
参道脇にはもう石の塊としか見えない先代さんが、未だしっかりと置かれています。
嬉しいですね〜。
拝殿
本殿
本殿の虹梁は見返り龍です。
本殿の木鼻は狛犬と象です。
本殿脇障子には竜虎の戦いと唐獅子牡丹が彫られています。
境内社:稲荷社 末社
末社 末社
社殿奥のご神木 境内から見える佐賀関漁港