西寒多(ささむた)神社

大分市寒田1644(平成20年7月25日)

東経131度36分0.93秒、北緯33度10分12.92秒に鎮座。

 この神社はふじが丘ニュータウンの南に鎮座しています。入口の寒田川には県有形文化財指定の石造太鼓橋・万年橋が架かり、その左側には樹齢400年の見事な山フジ(大分市天然記念物)があり、開花の季節4月中ごろから5月初旬にかけてはさぞやお花見客で賑わうことでしょう。万年橋の上からは境内全景が見渡せ、もうこの時点で境内・鎮守の杜の佇まいの素晴らしさ、重厚な社殿の見事さが実感できます。社務所の前を通り、参道に建つ鳥居を潜り、神楽殿を横目で見ながら石段を数段上がると、透かし塀の回廊奥に重厚な拝殿、中門と回廊に囲まれた奥に流造りの大きな本殿が建立されています。本殿右脇には奥宮への登拝道入口がありますが、暑さと大分時間がかかりそうなのとで、今回は断念しました。その他、校倉(あぜくら)造りの神庫も珍しく人目を惹きます。

 御祭神:西寒多大神(天照皇大御神)、月読尊、天忍穂耳命、 相殿:応神天皇、神功皇后、武内宿禰、伊弉諾大神、伊弉册大神、大直日大神、神直日大神、天思兼大神、大歳大神、倉稲魂大神、軻遇突智大神、天児屋根命、経津主命
 例祭日:元旦祭・1月1日、厄除星祭・2月1・2・3日、祈念祭・3月15日、例大祭・4月15日、ふじまつり・4月29日〜5月5日、大祭・5月3日、慰霊祭・5月4日、水神祭・勧学祭・5月5日、大祓・6月30日、夏越祭・7月最後の日曜日、新嘗祭・11月23日、大祓・除夜祭・12月31日
 境内社:合祀社
 由緒:社伝によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、西寒多山(現在の本宮山)に臨幸し、その証として山頂に白旗を立てた。当地の人々はこれを崇敬して籬垣を結んで拝んでいた。応神天皇9年(278)4月、その地に武内宿禰が祠を建てたのが当社の始まりと伝える。国史の初見は、『日本三代実録』貞観11年(869)3月22日条の西寒多神に従五位下を授けるという記述である。延喜式神名帳では豊後国唯一の大社に列し、豊後国一宮とされた。
 平安時代後期以降は衰退したが、中世以降、領主の大友氏の崇敬を受けた。応永15年(1408年)3月、大友親世が現在地に遷座した。明治4年5月14日に国幣中社に列格し、第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。
 特殊神事の御神衣祭(かんみそまつり)は、33年目ごとの例祭の日に祭神の神衣を新調して納める式年大祭である。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社号標
「豊後国一ノ宮 
国幣中社西寒多神社」
神社入口
大分川水系寒田川(通称禊ぎ川)に架かる、石造単アーチ橋・万年橋
県有形文化財指定の石造太鼓橋で、江戸時代末の文久2年(1862)当時延岡藩領だった寒田村の庄屋らが発起し、岡藩領だった大野郡柴北村(現豊後大野市犬飼町)の石工2代目・後藤郷兵衛ら20名によって同年に竣工しました。
橋長:22.0m 、橋幅:3.7m 、径間:11m 、拱矢(アーチ高):3.9m
境内入口から見た全景
参道に建つ明神鳥居 拝殿と回廊
拝殿前、昭和5年生まれの狛犬
鼻先を思いっきり斜め上方に突き出した、独特の姿勢をしています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和5年(1930)4月6日建立)
拝殿、正面と斜め前方から
本殿
本殿右脇に奥宮への登拝道入口がありますが、暑さと
大分時間がかかりそうなのとで、今回は断念しました。
因みに41号線上判田からは、奥宮の
すぐ近くまで自動車道が開通しているようです。
神楽殿と向拝彫刻の龍
境内社:合併社
鳥居に架かる額と御祭神
 
合併社入口と社殿
ご神木を祀る末社でしょうか?水神でしょうか?
校倉(あぜくら)造りの神庫
明治19年に改築
境内社:厳島神社?