大分市王子北町110(平成20年7月23日)
東経131度35分39.88秒、北緯33度14分26.59秒に鎮座。
この神社は22号線・王子町信号の南に鎮座しています。私達がこの社を訪れたのはPM6:00を過ぎていましたが、前日が夏季大祭だったため大勢の氏子さん達が未だ後片付けの最中でした。
この辺りは江戸時代駄ノ原(だのはる)村と称して、「駄ノ原鋳物師」と呼ばれる職人さんが多く居住した地域で、入口の鳥居は 寛政8年(1796)府内藩主・松平近儔(ちかとも)により奉納された市重要文化財指定の鋳鉄製の鳥居でした。
参拝をすませ、ふと奥を見ると本殿の入口近くに狛犬の姿が見えます。でも余りに遠くて写真撮影は不可能です。思案していると後片付け中の氏子さんが拝殿内に入られたので、「狛犬の撮影をしたいのですが…。」と事情をお話しすると快く承諾していただき、本殿間近まで入る事ができ、目出度く石製神殿狛犬の撮影が出来たのでした。もちろん台座はなく、類型の狛犬もおりませんので建立年代を推定するのは難しいのですが、かなり古い物ではないかと思われます。
御祭神:伊邪那美大神、速玉之男大神、豫母都事解之男大神
例祭日:元旦祭・1月1・2・3日、春期大祭・4月4・5日、夏期大祭・7月21・22日、秋期大祭・11月14・15日、除夜祭・12月31日
境内社:天神社
由緒:伝承によると、後三条天皇の延久元年(1069)紀州熊野那智山の道士・善行と舎人が王子神の神託を得て西国を歴遊。駄原の海辺に至って王子権現の神霊を拝し、延久5年(1073)に清浄の地を求めこの地に宝殿を造営 鎮座したのが発祥です。以来、豊後の国王子一社と称され、多くの崇敬を集めています。
神社入口 寛政8年(1796)府内藩主・松平近儔(ちかとも) により奉納された日本でただ一カ所の鋳鉄製鳥居 |
境内の様子 |
昭和5年生まれの狛犬 垂れ耳で、顔つきは威厳に満ちているのですが、鬣が頭部のみを覆っているので余計に頭が大きく見え、まるで乳幼児のような体型をしています。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(昭和5年(1930)8月建立) |
拝殿 |
本殿入り口を護る石製神殿狛犬 前足が欠損したため、うつぶせに置かれているようです。前後の足がついた形の縦長の体型で背筋を伸ばし、太い尾が背中の中央まで張り付いています。 狛犬の拡大写真はこちらで |
本殿 |
境内社:天神社 | 地蔵堂と末社 |