大分県護国神社

大分市牧1371(平成20年7月24日)

東経131度38分54.11秒、北緯33度14分6.41秒に鎮座。

 この神社は松栄山公園に隣接して鎮座しています。広大な社地を有し、豊かな森と、手入れの行き届いた境内社殿は、殉国の英霊をお祀りする地として、相応しい佇まいであると思いました。

 御祭神:大分県縁故の殉国の英霊四万四千余柱
 例祭日:1月1日・歳旦祭、1月3日・元始祭 交通安全祈願祭、 1月15日・古札焼納祭、2月3日・節分祭、2月11日・紀元祭 、2月17日・祈年祭、3月第1日曜・梅花祭、4月8日・前夜祭、4月9日・春季例大祭 、4月10日・平和祈念祭、4月29日・昭和祭、6月初旬・神梅収穫祭 、6月中旬・御田植祭 、6月30日・夏越大祓式 、8月13・14日・みたま祭夕祭、8月15日・みたま祭平和祭、10月8日・前夜祭 、10月9日・秋季例大祭、10月10日・平和祈念祭、10月18日・創建記念日祭、11月3日・明治祭、11月23日・新嘗祭、12月23日・天長祭 、12月25日・御煤払祭、12月31日・師走大祓式 除夜祭
 由緒:明治8年10月18日慰霊顕彰のために大分県初代県令森下景端は、松栄山に「招魂社」を創建しました。この明治8年に祀られたのは、明治7年佐賀の乱で戦死した杵築の大山昌など14柱、同年台湾出兵で戦病死した竹田の井上某など3柱、明治維新の動乱のさい蛤御門の戦いで戦死した南大分荏隈の若杉直綱など5柱の英霊です。
 次に明治10年の西南の役とその前年の熊本神風連の乱で殉職した人たち297柱が祀られました。それ以後も日清、日露の役、シベリヤ出兵による戦死者、欧州大戦、満州事変、日中戦争、大東亜戦争などで戦没された方すべてで44000余柱が祀られています。 創建当時のご社殿の位置は展望台の地点で、現在の社殿にご遷座するまではずっとここに位置しました。
 明治18年、拝殿などに増改築が加えられ、その後、昭和8年6月ご社殿の改築、参道の改修、神苑の拡張整備が行われました。昭和14年4月「大分縣護國神社」と改称し、その後終戦の時までは、代々の県知事が神社の奉賛会長をつとめ、県民の奉賛を得てきました。
 昭和18年10月28日、現在の社殿の大造営が完成してご遷座祭が行なわれ、22年、社号を「豊霊宮」と改称しましたが、27年9月、再び「大分縣護國神社」と元の社号にかえりました。

大分県護国神社公式サイトはこちらで

社号標
「大分縣護国神社」
神社入口 一の明神鳥居
旧社号標「招魂社」 参道の様子
参道左側石段の上には「明治大分水路記念碑」が建ち、右下方には今でもその水路が流れています。
木々の間から垣間見える神池 参道は石段に変わります
もうすぐ石段も終わりそうです 石段上に建つ二の鳥居
参道の様子
参道脇にいる昭和39年生まれのライオン顔狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和39年(1964)9月吉日建立)
神門
横に広い大きな拝殿
拝殿前 昭和38年生まれの狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和38年(1963)10月吉日建立)
本殿
神楽殿