片島大分(かたしまおおきた)

大分市片島734(平成20年7月25日)

東経131度37分41.23秒、北緯33度12分36.35秒に鎮座。

 この神社はJR豊肥線・滝尾駅の北東約500mに鎮座しています。新興住宅地の中にこんもりとした森は見えると、そこが片島大分社でした。境内は綺麗に手入れされ、拝殿はこの地方独特の千鳥破風の下に鬼瓦付きの唐破風が付けられるという超豪華な屋根です。

 御祭神:豊門別命、大分君稚臣、迦具土神、菅原道真公、保食神、倉稲魂命、猿田彦命、大宮女命
 祭礼日:春季大祭(祈念祭)・3月18日、夏季中祭(夏越祭)・7月17日、例大祭(遷座祭)・10月15日、秋季大祭(祈念祭)・11月23日
 境内社:秋葉社、天神社、保食社(大将軍社)、宮地嶽神社、尺間神社、生目神社
 由緒:寛永3年(1626)松平忠直公(一伯公)が滝尾津守の地に移館した時、父君の結城秀康の代から崇敬の念を抱き崇拝していた紀州熊野権現が滝尾津守の地でも祀られているのにいたく感動され「これも何かのご縁だ。」と心を強くして、ご子息松千代君の氏神、産土の神として、さらに厚い信仰心を奮い起こし、当時の滝尾羽田村に御鎮座していた大分社の氏子であった鴛野、曲、津守、片島地区、すなわち、辻堂以南の大分社氏子に当たる各地区、各住民を引き上げて新たに津守熊野神社の氏子として組み入れました。
 人々が信仰の道を深めるに従って片島地区に鎮守の御社が無いことを憂えた、神敬いの心厚い氏子の足立勘平、安達善左衛門、片山吉次郎、片山久兵衛、足立七朗兵衛、内田勝兵衛、岩田四郎右ヱ門、三浦五左ヱ門たちが相談して、天保元年(1830)、片島地区に社殿を建立する事を取り決め、翌2年の辛卯(かのとう)3月に郷社羽田大分社の御祭神・豊門別命、大分君稚臣のニ柱の御神霊と、津守熊野神社の御祭神・伊邪那美命、大物主命の二柱の御神霊の御分霊を合祀しました。
 明治18年陰暦4月8日に日栄田(現・稗田)の谷に稲荷神社が建立されて、人々の信仰を集めるようになり、また片島大分社の境内地にも末社として秋葉社、天神社、保食社(大将軍社)が逐次祀られるようになったため、稗田稲荷神社の御分霊も合祀されることとなりました。滝尾地区に於いても各地が独立した里、町として益々発展し、地区それぞれに御社を鎮め坐して、氏神様を祀る機運が生じたため、津守熊野神社の二柱の御神霊は再び熊野神社に還座されました。

神社遠景
台輪鳥居 鳥居に架かる額「片島神社」
参道途中に居る昭和9年生まれの狛犬
コンクリート造りで、かなりデフォルメ化された狛犬です。吽にはチョコンと角のような物が付けられています。津守の熊野神社の狛犬とそっくりですがこちらの方が2ヶ月お兄さん(?)です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和9年(1934)8月建立)
拝殿前、明治39年生まれの狛犬
阿は小さな角つきで玉乗りですが、此処まで立ち上がってるスタイルの物は余り無いのではないでしょうか? 玉も玉と言うよりは卵に近い形をしていて、又、身体中の瘤がゴジラなどの怪獣を連想させ、まるで怪獣が卵の中の子供を守っているような感じに見えます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治39年(1906)6月15日建立)
拝殿
千鳥破風の下に鬼瓦付きの唐破風が付けられるという超豪華な屋根です。
三間社流造りの本殿
神楽殿 境内社:宮地嶽神社
境内社:尺間神社 境内社:生目神社