日吉神社
大分市木田1557-1(平成20年7月24日)
東経131度45分29.87秒、北緯33度13分31.08秒に鎮座。
この神社は坂ノ市中学校の東約500mに鎮座しています。道路のすぐ傍に建つ一の鳥居から、参道は大きく右カーブを取りながら130m程の道のりを上がっていき、最後の石段を上がると明るく綺麗な境内へと出ます。正面には屋根に千鳥破風と唐破風を付けた立派な拝殿が建ち、その奥赤い透かし塀の中に幣拝殿と大きな神明造りの本殿が建っていました。境内には境内社が点在し、狛犬も計三対居ました。旧縣社ですがその格式に恥じない立派な、そして落ち着いた佇まいの神社でした。
御祭神:大己貴命、伊弉諾尊、伊弉冉尊、菊理媛命
例祭日:元旦祭・1月1日、祈念祭・3月9日、夏越神幸祭・7月末日、例祭・9月22日、新嘗祭・11月27日、月次祭・毎月1日
境内社:畑神社、稲荷神社他
由緒:社伝によれば白鳳時代(7世紀後半)滋賀県坂本の旧宮弊大社日吉大社の分霊を、佐賀の郷郡山(現大分市木田八尾の神の山)に地域の守護神として祀られました。
天長2年(825)現在地に遷宮され、建久7年(1196)大友将監が入国後再興し、以来大友の篤い崇敬を受けていました。
天正14年(1586)島津氏の豊後攻略の際兵火に罹り、本殿や古書類は焼失してしまいました。慶長6年(1601)加藤清正が領主となり、上野城内の熊野権現をを合祀し、社殿などを再建するにあたり、蛇の目定紋を刻んだ手洗鉢を寄進(現存)しました。次の領主細川氏はこの社を肥後領三大社の一とし、関手永十一ヶ村の総鎮守としました。細川氏は寛永11年(1634)には宝殿建立、元禄9年(1697)には石造りの鳥居(現存)を寄進するなど、手厚く保護してきました。
明治8年木田神社と改称し、昭和7年縣社に列せられ再び日吉神社に改称しました。
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神社入口 |
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参道の二の鳥居 |
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参道の様子 |
境内入口 |
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境内入口にいる皇紀2600年生まれの構え狛犬
出雲構えがモチーフとなっていますが、ライオン顔で尾の形も違ってきています。
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(石工・後藤義彦 皇紀2600年(昭和15年・1940)1月建立) |
拝殿前、同じく昭和15年生まれの狛犬
威厳のある顔立ちで、上半身の発達した狛犬です。
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(昭和15年(1940)1月建立) |
拝殿 |
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拝殿の木鼻・狛犬と象 |
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本殿 |
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裏参道入口に居る陶器製狛犬
建立年代不明です。阿吽の位置が反対で、額にある第三の目のような突起が面白いですね。頭上にはキューピーさんのような可愛い鬣が付いています。今まで見てきた備前焼の狛犬とは全然趣が違いますが、何処で焼かれた物なのでしょうか?
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神楽殿 |
ご神木 |
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